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言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(十)丸山健二

「花の命は短い」とは、言い古された真理のひとつで、女性の美とも重ね合わせた代表的な表現でしょう。
 ところが、異性との付き合いはともかく、植物とのそれだけは長い私にとってみれば、説得力にあふれた言葉であるかどうかは甚だ疑問なのです。
 それというのも、どれほど美しかろうと花期が長いとしまいには飽きに耐えられなくなるからです。つまり、散る時に散ってくれない花は、残念ながら美の価値を半減させ、のみならず、愛想尽かしの対象にまでされかねません。
 その典型的な例がサルスベリで、夏中ずっと満開を保って衰退の気配すら見せないために、鑑賞者の目は次第に濁りを帯びてゆき、秋風が吹く頃には見向きもされない落花を迎えます。
「良かったな、おまえは」と妻に言ってやりました。
 すると間髪を容れずに、「それって誉め言葉?」と突っこまれました。
 タイハクオウムのバロン君が「ギャア ギャア!」と忖度の絶叫を発しました。
 適切なたとえであるどうかはわかりませんが、もしその個体数があれほど膨大でなければ、鳥類の美の王者はクジャクに間違いないでしょう。問題なのは希少価値であるかどうかなのです。そして花も同様ですが、数が多い場合は花期の短さが美の基準を大きく左右します。
 美容整形とまったく同じ意味で、ドライフラワーが嫌いです。永遠の美が実存することはあり得ませんが、仮にそれらしきものが在ったとしても、それは〈美もどき〉の不気味な代物でしかないのです。そうした意味では、もう少し咲いていてほしかったと思わず呟きたくなる花こそが、真の美花と定義づけられる本物ではないでしょうか。
 とはいえ、結局のところ美は錯覚の産物にすぎません。時と場所、そして出会いのきっかけとその回数などによって、美の尺度は人それぞれなのです。また、同一人物であっても、その時々の気分によって微妙に異なってきます。
 ともあれ、私の庭を彩る花々はすべて散り際なるものをよくよく心得ており、適切な余韻をもって翌年の感動へといざなってくれます。否、そうとばかりは限りません。二つか三つくり返し咲く種類が混じっていますが、まあ、それくらいならばよしとしましょうか。
 
 
「朝露と朝日に照り輝く花が一番!」と叫ぶのは、夜明けを待って集まる夏鳥です。
 
「夕庭を飾る花こそが花のなかの花!」と言い張るのは、斜光の務めなのでしょうか。

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