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#荘子
この篇では、孔子と漁師の老人との対話が収録されています。
孔子が弟子とともに旅をしている途中、漁師の老人と遭遇します。
孔子は彼が聖人だとわかり、教えを請います。
弟子たちは孔子のあまりのへりくだりっぷりに、怪訝な態度を示しますが、孔子は老人が「道」を備えた人物なのだから、敬うのは当たり前だ、と諭します。
この篇では、無足(貪欲の擬人化)と知和(適度な調整をわきまえる者)の対話が収録されています。
この対話では、和知の方が説得力があります。
この篇の説話は荘子の思想とだいぶ隔たりがあります。
快楽主義を肯定するような内容がみられます。
例えば、孔子の弟子である子張と満荀得(少しでも獲得して満足すると云う意)と云う快楽主義者の対話が収録されています。
この篇のタイトルにある「盗跖」とは、古代中国の伝説の大泥棒だそうです。
ただ、本文をみると、泥棒と云う盗賊の頭のようです。
この篇では、その盗跖と孔子の対話がみられます。
最も、孔子が盗跖に儒教の教えを説こうとして、逆に論破される話です。
盗跖の云っている内容は、快楽主義的で、荘子の思想とはだいぶ異なります。
金谷治は、後世の作品と述べています。
この篇では、政治に対する不信感のようなものがみられます。
王さまから位や官位を与えられても、拒む人たちが出てきます。
どうやらこの篇は、後世の人が作った偽作とされています。
収録されている説話が『呂氏春秋』など他の書物と被るからだそうです。
この章では、『荘子』の文章表現の特色を述べています。
「寓言」とは、「直言しないで他のことにことよせて説くこと」を意味するそうです。
わざわざそんな回りくどい表現をするのは、世間の人々は自分と違った意見に耳を貸さないからだ、と述べています。
この篇では、短い寓話が出てきます。
宋の国で、親に死なれた男性がいました。
喪に服し、食事を取らなかった結果、体がすっかりやせ衰えました。
国は、彼を孝行者と称賛し、爵位を与え、役人に取り立てます。
それを聞いた男の出身の村では、親が死ぬたびに、男のように食事を取らないで喪に服した結果、命を落とす人が半分も出たそうです。
この篇は、「外物は必すべからずー外界の事物はすべて頼りにできないー」と云う冒頭の文章から取られたようです。
道家的な処世術が説かれています。