世の中を二種類の人間に分けるための最高にカッコイイ方法

「世の中には二種類の人間がいる。このnoteを読んだことのある人間と、そうでない人間だ。」

丸海てらむです。

いきなり偉そうなことを言ってすみません。

冒頭に書いたような言い回し、めちゃくちゃよく見かけませんか。おじさんサラリーマンが説教をするときによく見かける。そして僕はこういう言い方が大抵きらいです。なぜならかっこよくないからです。

「世の中の人間は二種類に分けられる。Aである人間と、Aでない人間だ」

これは、この構文のかっこよさを1割ほどしか引き出しきれていない。実質的にこの文章が言っているのはせいぜい「Aである人がいる」くらいのものである。一応「私は、Aであるかどうかが人間にとって重要だと思っています」みたいな意味もある。ただそこまでかっこよくはない。

この構文の本当のかっこよさは全然そんなもんじゃないわけです。まだ上がある。ということでレベル2に行きます。


「世の中の人間は二種類に分けられる。Aである人間と、Bである人間だ」(AとBは互いに背反であることが自明ではない)

これです。これによって一気に情報量が増える。「Aである人がいる」「Bでである人がいる」「AとBは互いに背反な属性である(Aは人はBではないし、Bな人はAではない)」という主張をしていることになる。三倍以上だ。

ややこしいので例を出すか。

「世の中には二種類の人間がいる。文章は読める人間と、文意が読める人間だ。」

出典2ちゃんねるより。そこそこかっこいい。まず「文意が読める人間」という概念を示すだけでもけっこう意味がある。文章は読むだけじゃなく文意を汲み取るものなんだよと。そして、それができる人間とできない人間がいる、特に文章は読めても文意は読めない人がいるんだぞ、ということを言っている。これはけっこう意味のあるかっこいい構文であります。

これだ。こういうのがかっこいい二種類人間構文なのだ。

ちなみに背反であることが自明だとレベル1のやつになります。

かっこよくない例も出すか。例えば筋肉隆々テクノカットのピンクベストのおじさんが胸を張りながら言ってると想像してください。「世の中には二種類の人間がいます。春日と、春日以外です」これはカッコイイ風に全然かっこよくないことを言うというお笑いである。でも人によると、真剣にかっこいいと思ってこういう「Aである人とAでない人だ」構文を使っていることがけっこうあるので警鐘を鳴らしたかった。

恐ろしいことにこれで終わりではない。レベル3があります。

「世の中には二種類の人間がいる。Aである人と、Bである人だ」(AとBは互いに背反であることが自明ではない)(かつ、AとBを足すと人類全体になる)

これです。これによって「世の中には二種類の人間がいる」が、「世の中の人間は全て以下の二種類に分けられる」という大きな意味を持ちます。これはかなり大きな主張で、ズバっと言えるとかっこいい。さっきの2ちゃんの例だと例えば文字を読めない人とかが漏れてくるので微妙なわけです。これもかっこいい例を紹介しよう。

「世の中にはふた種類の人間がいるんだ。首にロープを巻かれるのと、 そいつを切るのが商売なヤツだ。」

出典、夕日のガンマンとかいう昔の映画。まさにっていうやつが出てきたな。ちょっと調べたので解説をします。賞金首の男と、金髪の男が組んでいる。金髪の男は賞金首の男を売って賞金を得る。賞金首の男は縛り首にされて絞首刑される。その刑が執行される寸前、金髪の男は遠方から狙撃によって縄を切る。賞金首の男は逃げ出して金髪の男と合流し、賞金を山分けする。そんなことを各所で繰り返す、という場面があるらしい。僕も今知りました。かっこいいね。

で上のセリフは、賞金首の男が金髪の男に対して、自分の分け前を増やしてくれないか、と打診しながら言ったセリフである。この後に「オレはよ、ロープを巻かれる方なんだぜ。命懸けなんだ。今度っから半分以上よこしな。」と続く。らしい。僕も今知りました。

さてここで疑問が生じる。別に世の中の人間は首にロープを巻かれる奴とそれを切る奴の二種類だけではないのでは? この二つで人類全体にならないどころか、この二人にしか当てはまらない言い回しである。

それだ。そこがミソなんだ。ちなみに原文だと「There are two kinds of people in the world, my friend, 」である。要はだね、これは僕の深読みかもしれないが、「この世界で俺が人間扱いしてるのは俺とお前だけだ」とか「俺とお前を足せば世界の全員みたいなもんだ(他の奴らはいてもいなくても関係ない)」みたいなニュアンスが。あるのではないか。ないですか。後はまあ、大金の話で揉めてるわけだから、自分で大げさに揶揄して言っているみたいなおかしみもあるかもしれない。

そして大事なもう一点、この前者と後者が自分と相手に一対一対応している。これは世の中二種類構文において非常に稀有なことです。自分一人だけを指すためにこんな迂遠な言い回しを使い、相手一人だけを指すためにこんな迂遠な言い回しを使い、これがかっこよくなくてなんであろうか。

そして二種類がイコール二者でありそこに自身を含むことから、この例特有の四つ目の効果が浮かび上がってくるわけです。「俯瞰してみなよ」という意味が。「俺とお前を、第三者目線から見たらどうなるか?」という視点の変化。それも、相手に押し付けるんじゃなく、自分も一緒に自分のこととして客観視するんだから、平等な言い回しのように感じてくる。

ということでこれが一番かっこいいのでした。一節にはこの世の中二種類構文の元祖がこの映画ではないかという説も見かけたけど厳密なことは不明。詳しい人とかもっと古い有名な例を見つけた人は教えてください。


さて問題だ。僕はこんなんでも昔作家を目指していたし今でも習慣が抜けない。「自分がこのかっこよさを再現するとしたらどうやるか?」模倣は最も原始的な学習方法であり、そして模倣より効率の良い学習方法はあまりない。とりあえずパクってみよう。

満たすべき条件は以下。

世の中には二種類の人間がいる、から始めて、AとBの二つの異なる属性で分けて見せること。

その二つの属性に当てはまるのが、自分と相手の一人ずつのみであること。

このセリフを言うタイミングが、自分と相手の間に横たわる出来事を俯瞰的に見ることで自分に有利に物事が進むと考えられる時であること。

舞台が西部劇で、かっこつけた言い回しをしても許されること。

この条件を満たす文面を作ればよいわけだ。ないです。最後がきつい。このかっこつけたかっこいい言い回しを、ちゃんとかっこよく言える気がしない。だって僕の文章、この文体だぞ。どこで言えば。小説を書いてもだいたいこんな感じなんである。

まあでも頑張って考えてみるか。最後のやつくらいは無視してもいいというか、なんかかっこつけたこと言っても許される空気が形成されていれば良しということにしよう。


ということで、世の中の人間は二種類に分けられる。誰も読まないかもしれないのに深夜調べものまでしながら3000字の文章を書く奴と、それを最後まで読んでやったのに気づかれもしない奴とである。

お互い、読んだ奴がいたのかと知るためにも読んでやったよと恩を着せるためにも、ちょいとそこのハートのボタンを押してみてはどうですかと分け前の増額を要求しつつ、こんなもんでどうでしょうか。かっこついたかわからないが条件は満たしたんじゃないか。全部説明しちゃったからかっこよくはない。まあ満足したので寝ます。おやすみ。

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