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徳川家康が開いた!?愛知の市場の歴史

こんにちは、丸進青果広報“進太郎”です!!

さて、本日は私たち丸進青果の所在地でもある
名古屋市中央卸売市場北部市場
(以下北部市場)の
歴史についてお話ししようと思います。

実は題名にもあるように、北部市場は
徳川家康が開いたといっても
過言ではありません。

歴史の授業では全く語られないところなので
おそらくご存じの方は
ほぼいらっしゃらないとおもいます。

北部市場の起こりは、
今から400年前にさかのぼります。
徳川家康が大軍を率いて京都へ
上洛したことがきっかけです。

上洛の道中、岐阜から愛知にかけて流れる
庄内川を渡る際、
もっとも多くの船を集めた
青物商の野口市兵衛と山田九左衛門に、
その功績として「青物市場開設の御下命」を
徳川家康が直々に
言い渡したことにはじまります。
※青物商とは、野菜を売る人のことです。

この後1614年に下小田井・西枇杷島地区に
「下小田井の市」が開設されました。
これが今の北部市場の起源です。

下小田井の市は、行政府(当時の江戸幕府)の
正式な免許取得の歴史的記述が残る市場としては
日本最古の青物市場です。

またそれだけでなく、
江戸の神田、大阪の天満と並び
日本の三大市場にも数えられました。

その後時代は移り明治。
徳川幕府から明治政府へと中心が移る中で、
「愛知県市場取締規則」公布により
翌年、新たに「枇杷島市場」という名称で
青物市場として認可されました。

今現在位置している愛知県西春日井郡豊山町へ
場所を移したのは1983年のこと。

時代が移り変わる中で、場所を変えつつも、
人々の食卓を支えるという役割を
400年以上担ってきました。

徳川家康がつくってくれた
きっかけが今もなお、
愛知県内の人々の食卓を
支えてくれていると思うと
感慨深いですね。

愛知県は、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康など
有名な戦国武将と縁のある土地柄のためか
こういった教科書では語られない、
歴史がところどころでうかがい知れます。

今後も、私たちに関わりのある
教科書には載らない歴史を目にしたら
発信していきます!!

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