コラム「なりすまし専門家」

*2010年05月16日のコラムです。

転職にまつわる話で数年前から言われている笑い話があります。それは、前職で部長職を務めていたビジネスマンが面接を受けたときの場面での話です。
 面接担当者に「なにができますか?」質問されて「部長ができます」と答えた、という笑い話です。この話は、「部長という肩書きだけで仕事をしてきた」中高年を揶揄した話ですが、つまり、実務能力がない管理職の中高年では、なんの役にも立たないといっているわけです。
 一般に管理職は実務から離れていますので、確かに実際の現場ではなにもできないかもしれません。現場を離れていた分、時代に遅れている可能性もあります。こうした中高年は企業にとっては「採用に値しない存在」であることも事実でしょう。しかし、僕は経営者が書いた本を読んでいて違う考えを持つようになりました。
 10年ほど前からビジネスマンの間ではMBAという資格が注目されるようになっていました。MBAとは経営学を学んだ人に与えられる資格ですが、特にアメリカで取得したMBAはエリートの代名詞ともいえるほど価値がありました。出世を目指す若い人はアメリカに留学してMBAを取得するのが必須条件のようでした。ですが、最近はMBAに対する評価も以前とは風向きが変わってきているように感じます。理由は、ここ数年、いろいろなメディアで多くの経営者がMBAの資格より実務経験や現場意識の高いビジネスマンを高評価する声が聞こえるようになったからです。特に、たたき上げの経営者にそのような傾向が強いのですが、これはたたき上げ経営者が持つ、アメリカ帰りの「頭でっかちエリート」に対する反発心もあるように思います。
 経営者をおおまかにわけますと、MBAなどのような経営学を学んだエリート経営者と、現場で苦労しながら一つ一つ実績を積み重ねた雑草経営者の2つのタイプがあります。一般に、いわゆる大企業といわれる有名企業にエリート経営者が多く、反対にベンチャーに限りませんが、起業してそれなりの大きさになった企業に雑草経営者が多いようです。
 僕は「この2つのタイプの経営者は相容れない」と考えていますが、それを象徴するような出来事が十数年前にありました。
 ツタヤを要するCCCという企業の創業者である増田宗昭氏は、脱サラでレコードレンタル店をはじめ、その後一部上場企業にまで成長発展させた立志伝中の雑草社長です。その増田氏が1996年にアメリカのディレクトTVという衛星放送企業と提携し、日本で合弁企業を立ち上げました。この新しい企業には2社のほかに日本の一部上場企業の数社も出資していました。そして、この合弁企業の社長に増田氏が就任したのですが、立ち上げてから数年して社長を解任されてしまいました。のちにアメリカ企業の社長が「彼が、なにを考えているかわからなかった」と語っています。
 社長解任の原因には、企業風土の異なる大企業同士の寄合企業ですから、外からは窺い知れない様々な理由があるでしょう。しかし、僕が想像するところ、経営に対する「取り組み方」「考え方」がまったく異なっていたことが大きな要因だったように思います。たぶん、エリート経営者である一部上場企業の社長やアメリカの社長たちは、たたき上げ社長のやり方に違和感を持ったと思います。エリート経営者からしてみますと、たたき上げ社長のやり方は経営学に沿うものではなく、「経営の基本がわかっていない」と感じたのではないでしょうか。
 ビジネス界を見渡してみますと、経営のやり方においてどちらが正しいかは一概に言えないようです。その証拠に、現在好業績を上げている企業には両方のタイプの経営者がいるからです。ただ、ひとつ言えることはタイプは違ってもどちらも経営のプロであることです。たたき上げの経営者と言えども、規模が大きくなるにつれ全てを自分ひとりでこなすことは不可能ですから、経営学でなくとも自分なりの経営のやり方を見つけているはずです。敢えてエリート経営者との違いを探すなら、「頭でっかちでない」ことでしょうか。
 いろいろな経営者の本を読んでいますと、規模が大きくなるに従い「管理する」という側面の重要性が書いてあります。つまり、「管理する」ということは企業においてなおざりにしてはいけない重要な要因である、ということです。ここで冒頭の話に戻るのですが、転職時の面接で「部長ができます」という答えも間違ってはいないのではないでしょうか。中間であろうが、それなりの人数の部下をまとめていくことも企業においては重要な仕事のはずです。企業にはいろいろな部下がいます。中には一癖も二癖もある社員もいるでしょう。そうした社員を束ねるのも立派な業務です。ですから、「経営のプロ」がいるように「中間管理職のプロ」がいてもなんの不思議もありません。
 プロを言いかえるなら、「その道の専門家」と言えるでしょう。そして、どんな業界でも専門家と素人の差は歴然としています。また、歴然とするほどの差があることが専門家としての証でもあります。その専門家の世界に素人が平然と足を踏み入れようとしている業界があります。政界です。
 報道では、夏の参議院選挙に政治に全く関わったことがないばかりか、知識もないであろう有名人がぞくぞくと立候補に名乗りをあげています。現役の柔道選手から元プロ野球選手、芸能人など数え切れないほどの人が会見を行っていました。僕はとても不思議な気分です。これらの人たちは、それこそ「その道の専門家」たちです。その道を「極めた人」たちです。そうした人たちは専門家と素人の違いを嫌というほど知っているはずです。身に染みて知っているはずです。それにも関わらず、専門外である、つまり自らは素人の立場である政治の世界に足を踏み入れるのはなぜでしょう。僕は不思議です。
 そこで、僕は思います。先ほど、僕は立候補を表明した有名人の人たちのことを「道を極めた人」と書きました。しかし、実際は「有名なだけの人」たちかもしれません。決して「道を極めた人」ではないのです。もし、本当に「道を極めた人」であるなら、専門家と素人の違いを骨身に染みて知っているはずですから、素人の立場でしかない政治の世界に足を踏み入れることなどするはずもありません。
 僕は、素人が政治の世界に足を踏み入れることを批判しているのではありません。どんな人でも最初は素人です。僕が問題視しているのは「素人のまま」足を踏み入れることです。もし、政治の世界に入るのであれば、専門家に負けないほどの実力を培ってから立候補するべきです。そうした努力をすることなく、有名だからという理由だけで立候補をすることなど絶対に避けるべきです。
 僕の批判は立候補を要請した政党にも感じています。「有名だから当選する可能性が高い」という理由だけで立候補を要請するなどあってはならないことです。こうした安易な考えは、政党の政治家が「政治の専門家」でないことを示していると言っても過言ではありません。もし、数を揃えるためだけに有名人を立候補させるなら国民に対して無責任ですし、政治を危うくするものにほかなりません。
 投票するときは、「なりすまし専門家」に騙されることなく、政治家として真の実力のある人を選びましょう。

 ところで…。
 年をとりますと物忘れがひどくなります。ちょっとしたことが思い出せずつい「アレアレ」などと代名詞で済ますことも度々です。この「アレアレ」は親しくない人には「伝えたい内容」が意味不明ですので、できるだけ避けるようにしていますが、親しい人には思い出すのが面倒ですので、躊躇することなく「アレアレ」を連発することになります。
 僕が生活する中で一番親しいのは妻ですから、勢い妻との会話には「アレアレ」が頻繁に出てきます。もちろん妻の口からも「アレアレ」が連発されますが、お互いに、お互いの言うことを理解する一番の専門家ですので、ちゃんと意味が通じ困ることはありません。たぶん、第三者が僕たちの「アレアレ」会話を聞いても意味が分からないでしょう。
 「アレアレ」を連発し合う会話はマンネリ夫婦に感動を与えることもあります。お互いに「アレアレ」の内容はわかっていますので、いちいち正しい言葉など考えることもなく「アレアレ」で会話を済ませているのですが、たまにどうしても正しい言葉を思い出したくなるときがあります。そうしたとき、二人して必死に考えるのですが、中々出てきません。二人して七転八倒しながら思い出そうとします。そうして苦労に苦労を重ねてどちらから思い出したとき、僕たちは狂喜乱舞するほどうれしくなります。つまり、僕たちは感動を共有するわけです。マンネリ化した夫婦関係にこの感動はとても意義があります。「アレアレ」も捨てたものではありません。
 だいたいにおいて、僕たちの「アレアレ」は同じものを指していますので、話が通じますが、ときたま間違っていることもあります。こういうときは、話を進めていくうちに「合わなくなって」きますので途中まで行って勘違いに気がつくことになります。こういうときは、勘違いをしたほうを非難することになりますが、実はどちらが勘違いをしたかを決めるのは困難です。僕たちはこのようなケースを「アレアレ詐欺」と言っています。
 このようにどんなことでも、専門家と言えども間違うことがあるのですから、ましてや素人はいわんや…。
 じゃ、また。

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