小説「本当の嘘」全5回の5

 僕が今の仕事にコンプレックスを持っているのには理由がある。警察官の職務質問である。この仕事をしていると職務質問を受けることが多いのだ。それまではそれほど意識することもなかったけど職務質問の回数が増えるにつれて次第に「他人には自慢できない仕事」と思うようになってきた。

 普通、スーツを着て歩いていると職務質問を受けることはまずない。スーツではなくカジュアルな服装で歩いていてもそうそう職務質問を受けるものではない。実際、僕は今までに普段着で歩いているときに職務質問を受けたことは一度もなかった。ところがこの仕事をしていると職務質問を受けることが多い。僕には警察官が「チラシ配布」という仕事を見下しているように感じられた。そのような警察官が僕たちを見て不審者と思っても不思議ではない。

 また、警察官にとってチラシ配布をしている人間は「職務質問をしやすい」ということもあるかもしれない。自転車に乗っているからだ。会社から貸し出される自転車はどれも古びている。職務質問のとっかかりはほとんどが自転車の盗難登録をチェックすることからはじまる。そして身分証明の提示へと進むのだ。決して気分のよいものではない。

 日ごろのこうした鬱憤がhimi2さんへのメールに綴られていた。メールなので事細かには伝えられなかったけど、普段自分が理不尽に感じている仕事中の出来事などを送信した。
 himi2さんは慰めてくれた。

 いつの間にかメールのやりとりは僕が身の上話をして、それに対してhimi2さんが励ますという関係になっていた。

 今の仕事をはじめてから人と言葉のやりとりをする機会が少なくなっていたことも影響しているのだろう。僕は学校から帰った子供が母親に報告するような気分でメールを送っていた。

 自分と同じ性格の人と話すことがこんなに気持ちのよいものだとは思わなかった。
 特に前の職場を辞める際の自分の気持ちを書いたことは気分をとてもすっきりさせた。やはり誰かに知っていてほしかったのだ。
 自分では「筋を通した」と思っている。仲間であるはずの社員が自らの評価を上げるために特定の社員を貶めるのが我慢ならなかった。一番許せなかったのは全員で無視したことだ。僕のモラル感の中で一番やってはいけないことだ。あのとき、僕の正義心が疼いた。

件名:やはりhimi2さんは…。
from masa
本文:よい方ですね。優しい人です。僕のつまらない愚痴をやんわりと受け止めて励ましてくれて、、、。やはりhimi2さんに慕われている方は幸せ者です。

件名:ありがとうございます。
from himi2
本文:ちょっと気になったのでお聞きしますが、masaさんは恋人はいらっしゃるのですか? または片思いの人など…。

件名:いませんです。
from masa
本文:前の仕事はめちゃくちゃ忙しかったのでカノジョを作る暇なんかありませんでした。仕事にめいっぱいで女の子のことなんか考えることもありませんでした。

件名:大変でしたね。
from himi2
本文:優しいmasaさんのことですからもし本気で彼女を作ろうと思えばいくらでも作れたでしょうに。

件名:そんなことはありませんよ。
from masa
本文:僕のことを褒めてくれるのはhimi2さんくらいなもので僕は女の人にモてるようなタイプじゃないですから。

 雨が少し弱まってきた。しかし、今の僕は雨が上がってほしいとは思っていない。

 公園の入り口に先ほどの大きな白い犬が顔を出した。公園の周りを歩いてまた戻ってきたのだろう。飼い主も一緒である。

 オッサンが話しかけてきた。
「俺の秘密、知りたくないか?」
 突然で唐突な質問である。僕はオッサンの目を見た。

「俺の秘密はすごいよ」
「是非、聞きたいですね」
 しかし、オッサンはそれっきりなにも話さず入り口のほうを眺めていた。僕にしてもなんとしてでもオッサンの秘密を知りたいわけでもない。僕は顔をブランコの方角へ向け、視線を遠くへやった。

 犬がまた僕たちのほうに近づいてきた。先ほどは僕が一人でいるときに吠えられた。今度は怪しげな身なりのオッサンも一緒である。間違いなく吠えられるだろう。僕は視線を遠くへやったままにしていた。それでも犬が少しずつ近づいてくるのはわかる。犬の息遣いが聞こえてきた。とうとう僕の視野の端に犬が入ってきた。犬は僕たちを見つめているようである。僕はできるだけ犬と視線を合わさないようにした。まるで存在しないかのように気づかないふりをした。

 そのとき思いもかけないことが起こった。

 犬がオッサンにじゃれてきたのだ。僕はおじさんを見た。おじさんにしてもなんの違和感もないように犬の首筋を撫でている。犬は吠えないどころかうれしそうな表情をしている。

「あなた行くわよ」

 えっ?…。

 僕は思わず女性の顔を見た。確かに飼い主の女性はオッサンに向かって「あなた…」と言ったのだ。おじさんは納豆の笑顔を僕に向けると言った。
「いっぱいあるよぉ」
 オッサンが立ち上がり歩き出すと犬と飼い主の女性はあとにつづいた。

 雨は小降りになっていた。

 メールがきた。
件名:好きなタイプは?
from himi2
本文:masaさんはどんな女性が好きですか?

件名:そうですねぇ。
from masa
本文:気の利いた男性なら「himi2さんのような」と言うのでしょうが、僕は無骨な男ですので(笑)。僕を丸ごと好きになってくれる人、かな。

件名:「丸ごと」ですか。
from himi2
本文:まるで「ブタの丸焼き」のようですね(笑)。でもなんとなくわかります。……あのぉ…、…私なんかどうかなぁって思ってるんですけど。

件名:そんなおそれ多い。
from masa
本文:それにhimi2さんは片思いの人がいるんですよね。でも、ちょっと調子に乗っちゃって質問です。himi2さんはどんな女性か教えてください。

件名:ちょっと複雑…。
from himi2
本文:なんて言ってよいか…困りますネェ(笑)。なんて答えたらmasaさんに好意を持ってもらえるのでしょう?

件名:あれれ?
from masa
本文:僕に好意を持たれちゃっても大丈夫ですか? ご存じと思いますが、僕、一度好きになるとしつこいですよ(笑)。

件名:望むところですぅ。
from himi2
本文:私はすっぴんより化粧をしたほうがきれいな、計算高い女かな(笑)。嫌われたかな?

件名:いえいえ。
from masa
本文:「化粧をしたほうがきれい」ということは美しさのセンスがあるということでとても好感です。僕も暗算は得意なので同じですね。

件名:ものは言いようで(笑)
from himi2
本文:masaさんの人柄がわかったような気がします。masaさんに好意を持ってもらえたらうれしいかな(笑)。でも…。私の秘密を知ったら嫌われるかも…。

件名:そんなことはないです。
from masa
本文:さっき知らないおじさんから「すごい秘密」を知らされて免疫ができましたから。

件名:すごい秘密?
from himi2
本文:なんか聞きたい気持ち。私の秘密より「すごい」か知りたいので教えてください。

件名:どうしようかなぁ…。
from masa
本文:もしhimi2さんが恋人だったら教えるところですが…。ここは一つhimi2さんが先に秘密を教えてください。僕、とっても聞きたいです。

 …馴れ馴れしすぎたかな。
 僕がメールを送ったあと返信は途絶えた。それにしても僕は自分に驚いた。普段では考えもつかないような台詞が次から次に思い浮かんだからだ。たぶんあのオッサンのせいだろう。

 もう返事はこないかもしれない。…僕はそう思った。でも僕は満足していた。女性と楽しく会話をしたのは久しぶりである。雨に感謝である。
 メールに夢中で忘れていたが、雨はもうほとんど上がりかかっていた。僕は配布の続きをするための準備をはじめた。チラシをそろえ指にサックをし…。
 そのときメールがきた。

件名:迷ってました。
from himi2
本文:返事が遅れてすみません。いろいろなことが頭をよぎっちゃって…。結果が出るのが恐いから…。

件名:軽い気持ちで…
from masa
本文:そんなに真剣にならなくても(笑)。もし僕に嫌われたらそのときは僕に片思いをしてください(笑)。それではお待ちしています。

件名:うーーん…。
from himi2
本文:これから送るメールは決して間違いではありませんのでよ~く見てくださいね。masaさん、準備はできていますか?

件名:はーーい。
from masa
本文:準備万端です。どうぞー。

 僕は胸が高鳴った。こんな気分は久しぶりである。僕は椅子に座り、姿勢を正し指サックをはずした。

 メールがきた。

件名:送ります。
from himi2
本文:恋 に ち は。

 …雨が上がっていた。

おわり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?