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忘れたくない六月の夜

八月に二歳になる娘は、一歳半すぎたあたりから少しずつ言葉を習得し、
簡単な単語を発するようになってきた。
(親でないと聞き取れないたどたどしさが可愛い)

最近はさらに進化して、「ちゃちゃ のむ」や「まま ぶー」など、二語文話すようになってきたのだが、先ほど寝かしつけている時、とても流暢に、「はいどーぞ ごむ」
と、わたしがいつも髪を結ぶ時に使っているゴムを渡してきた。
思わず、すごい!上手に言えたね!と言うと、自分でも上手く言えたという手応えを感じていたらしく、嬉しそうに笑いながら、再度「はいどーぞ ごむ」と言ったのだ。
腕枕をして、薄暗い中ぼんやりと娘の顔見ながら、
「ママ、あんちゃんとお話するの楽しみだな。たくさんお話しようね」
と話しかけると、にこにこと嬉しそうな娘。
なぜかわたしはとても感動してしまい、涙がボロボロとでてきてしまった。
この先の人生、この子がいる、それは確定している、この事実がとてつもなく素晴らしく、最高でしかないじゃない!なんて最高なんだろう!
と心の中で感情のビッグウェーブを感じながら、
娘には気づかれないように、静かに泣いた。

これからもっと会話できるのだろう。いろんな話をしたい。娘としたい事がたくさんあるのだ、そしてそれはおそらく叶うこと。このわたしが今乗っているレールには、こんなにも幸せな事が常々起こるという事。
そんな文章を書いている今、横で夫はくるりの「奇跡」をギターで弾いていて、、
思いがけず、忘れたくないなんでもない一日になったな。
今日は仕事を早退して、娘を病院に連れて行き、夕飯を食べさせ、そんな普通の一日だったのに。
贅沢に思える、普通の暮らし。

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