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相手に配慮できない子どもな人はサラッと流そう

誰かの期待に応えられない時
自分は役に立たないのでは?
と、思ってしまう


困っている時
なんだか親身になってくれない感じがすると
寂しい気分になる


それはそうなんだろうけれど
ちょっと待って。


それは
優しすぎるが故に起こっている
ちょっとした不具合なのかもしれません。


私なんて…役に立たないんだ( ;  ; )
なんで親身になってくれないの?!
なんて思ってしまうことにちょっと違和感を感じるならば


いろんな良くない影響を及ぼしてしまうので
人間関係がちょっと色々面倒になってしまいます。

同じ言葉でも「言葉遣い」が違う


人付き合いの好みは人それぞれで

こんな時は譲り合う
こんな時は先に連絡しておく
細かな配慮で相手を不快にさせない気遣いをし合う


あまり細かいことよりも
その時その時に状況を伝えてお互いが融通し合う


気にせず本音を言い合う
馴れ合わずに気を遣う


など付き合い方の好みはそれぞれです。



集団に合わせていたり
自分の好みの人たちとしか付き合わない
それもそれぞれです。


それらの違いは
同じ言葉を使っていても「言葉遣い」
つまり言葉の遣い方が違うのです。


似た「言葉遣い」の集団が出来上がるのです。


人それぞれの「言葉遣い」がある

同じような「言葉遣い」の集団が出来上がりますが
細かく捉えると個人個人でも「言葉遣い」は異なります。


例えば「断られた時」の受け取り方にも表れます。
断られたら誰だってガッカリするし
断る方も喜んで断りません。


例えば
「良かったら遊びに来ない?」の中に
「来るも来ないもあなたの自由よ」
が含まれていたらそれは相手を尊重する言葉遣い

「当然来るよね!」
が含まれていたらそれは気遣いの無い言葉遣いです。


しかしこちらは尊重を含ませているつもりなのに
勝手に受け取る方が
「断ったら相手を傷つけるから断れない」
と言葉遣いを自分の中で変換していたら
ややこしくなってきます。

自動的に「自分の言葉遣い」を含ませてしまう

こういう誤解は
言葉の中に「言葉遣い」が含まれているから
起こることです。


人は相手の言葉の中に自動的に
「自分の言葉遣い」を含ませて捉えてしまうのです。


でも他人の「言葉遣い」と自分の「言葉遣い」は
違うのです。
だからわざわざ言葉にした方がいいのですね。


「良かったら遊びに来ない?」と言って間があるなら
「無理しないで。またの機会もあるから。」
と付け加えるのが配慮です。

「言葉遣い」の違いを認識できているのが大人

ここで大切なのは
他人と自分の「言葉遣い」は違うと
しっかり認識することです。


ここが認識できている人が大人で
自分も他人も同じと思っている人は子どもなんです。
見かけは大人でもね。


誘いを断って機嫌が悪くなる人は子どもです。
自分と他人の「言葉遣いの違い」が分かっていない。

人の頼みを自分の都合で断る
という「言葉遣い」の人だっているのです。
※言い方にもよりますがこれが大人です。

嫌われたく無いから断らない
あれだけお世話してあげてるんだから断わらないよね
いつもお世話してもらってるから断れない
という「言葉遣い」もあります。

別にどれが正しいはありませんが
人間関係がうまくいくのはどれかは明白です。

なんだか変だな?
という人がいる時は
「言葉遣い」がかけ離れているのです。

サラッと流せないのは大人じゃないから

「言葉遣い」は人それぞれ。
が分かっていたら
こちらの「言葉遣い」に配慮しない人は
子どもと認識できます。


そういう人にはこちらも配慮は
必要ありません。


機嫌が悪いならただ「ごめんね〜」というだけ。
深刻にならずサラッと軽くの対応で良いんです。


こっちが深刻になるから
ますます配慮しなくなるのです。


子どもには子どもに対するような態度で(^^)

「言葉遣い」に配慮の無い人に真剣にならない

こういう大人になり切れていない大人は結構います。
そしてそういう人に悩まされている優しすぎる人も
結構います。


断ったらあからさまに態度に出す人
受けてくれてあたりまえと思う人


母親だったりママ友だったり姑だったり。


子どもなんだな。と思って
サラッと軽く流す練習を。
真剣に怒るのも良くありません。


明るく
ごめんね、また行くから!
で良いのです。
だって子ども相手に真剣にならないでしょ。


寂しく感じるのは仕方ない

逆に親身になってくれなくて
寂しく感じるのは仕方のないことです。


でもそれを
恨みがましく言ってみたり
ずっとクヨクヨと
友達なのになぜ親身になってくれないの
と思い続けるのは「子ども」です。


寂しいけど
相手には相手の「言葉遣い」がある
仕方ないね!と、割り切り


別の誰か都合のつく人にお願いするか
自分ひとりで気持ちの処理ができるようになることです。


心が子どもなのも仕方のないことです。
それを自覚して育てていけば良いのです。


自覚しないで周りを振り回す人は
自分の子どもじゃなければ育てる責任も無いので
適当に軽く流せるようになりましょ(^^)!


※心の領域の話と
ロラン・バルトのエクリチュールの解釈をやや変えて
配慮のできない人への対応について書きました。


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