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好きなことだけして生きてるよ。

ひなたぼっこして風に当たりながら考えた

私は許しが欲しいのかな。って。
今の生活は人に誇れるような生活に無いような気がする。

毎日絵を描いて、たまに売って、コンビニでおやつを買ってコーヒーと飲んで、生活費は施設に住んでる環境のおかげで問題ない。(詳しくは割愛)
眠くなったら昼寝をし、ぬいぐるみを並べたり、たまにSNSの自立をした料理をしたりするニンゲンの動画を見て、これが生活か…としみじみしたり、少し落ち込んだりして生きている。

仕事をしなければ…と思いつつなんとなく生きていてしたい仕事が見つかれば、
したいなあ、やってみたいと思いつつ、通信制の学校も就労支援のお仕事も続かず
あくびをしながらスマホでメモ機能でぽちぽい文章を打っている自分には
無理だと、半ば諦めていたりして。

内心、どうやって生きていきたいかと問われれば。ぬいぐるみと眠り、絵を描いて、たまに載せて、表現に触れながら(小説やnote、YouTube、ハンドメイド、音楽)お茶を飲んだり、おやつを食べ、散歩をして、人と比べず、ダラダラしていたい。

開き直ると、
俗に言うニートなのかもしれない。

社会のニートに対する風当たりが強い。
(というか、ニートは良くないと思っているから苦しくてこうやって過ごす事は悪だと感じている。)

つらい。世知辛い。

でもそうやって生きたい人は多い。
そうやって生きたいけど、抑えて頑張って仕事をしている人も多いようにTwitterを眺めてなんとなく私は思っている。

でも、完全に私は完全系のニートでは無い。
どうやら調べていると、ニートとは

仕事をする意思のない人たちのことを表しています。

らしい。

私は仕事をする意思はある。
でも、好きなことで稼ぎたい。
それに尽きる。

バリバリと汗水垂らして働くとか
努力 未来 A beautiful star タイプでは無い。

ってだけで。

絵を描いて、のんびり稼いで、仕事が来なければ、図書館で本を読んですごし、
収入が入ったらハンドメイド作品を買う。

好きなことでのほほんと楽しいことしてたら
なんか稼いじゃった☆になりたい。

そんな簡単に上手くいかないよ。
そんな社会は甘くない。

そう頭でガンガン鳴り響く、自分でつくりあげた世間体。

でも世間体って自分がつくりあげたものだったりもする。

実際やりたいことと真逆の事、厳しい意見を言われたら、「世論」という大きな謎の敵対組織になって立ちはだかった気分になって、

えーん!泣

となっちゃう。

でも、なんか言われても、
その人の「意見」なの。

その人の感想なの。

私は

ぬいぐるみにっこりぽかぽかライフ
が送りたいだけ。

人に迷惑も、犯罪も起こしてないんだ。

働く意思もあるし、自立する意思もある。

それが私のしたいこと。
世間的にこうするべき。みたいな
なんとなくの意識下から逆行した生活を
送りたいだけ。

雇われの身で働きたいなら、

可愛いお店で可愛いものを売りたい。
かわいい服着て働きたい。

5歳の
私のベクトルと何も変わってないだけ。

人から褒められずとも

ワンピースを着て隣にぬいぐるみを置いて、
施設前のベンチでひなたぼっこしてこの文章を打っている私は、人からどう映るかはわからないけど幸せであり
やりたいことをしている。

許されたい。

好きなことをしてワクワクした事を大事に
生きていてね。

そんな時、友達とギャラリー展示会をした時
お花に添えてあった
母の文章を思い出したりして。

私は生きている。
生きてるからこそ私のしたいことを
させてあげるのも私なんだ。

胸を張って生きる。
そんなに大袈裟な事じゃない。

イラストを見てもらうためにSNS運用。
そんなに複雑なことはしたくない。

個性を出して見てもらう。
わたしがわたしでいることが、もう個性。

イラストはクライアントの需要を意識してかく。
描きたい絵しか描きたくないよう!
私の絵が好きな人を買って!

そうしたいんだもん。そうやって生きたいんだもん。やりたいことしかしたくないんだもん。

私の人生だもん。
むずかしくかんがえてたけど、
なんもむずかしいことない。
息を吸って吐いて

楽しく生きてるよ。

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