「フカクフカク」人は愛されたい?50即目前の初心者ストしが考えてみた

こんにちは。まる(@maruoooon_pua)です。
6/1にまーぼー飯店に入って本格的にストを始めてからもうすぐ半年。
現在44即の初心者ストしが考えたことを備忘録として残しておきたいと思います。

このnoteを書こうと思ったきっかけ

親友二人と三人で北関東旅行をしている最中ですが、2つの作品を観ました。

1つは『サマータイムレンダ』というアニメ。
その中で「死ぬ前に好きという気持ちを伝えとこうと思って!」という表現があったのですが、
自分は死ぬ前に好きと言っておきたい女なんていないなぁ…と。
そしてそうやって思える対象がいることに羨ましさを感じたのです。

2つ目は『やがて海へ届く』という小説を読んだこと。
そこで出てきたのがタイトルにも使った「フカクフカク」人に愛されたいという表現。
あの世に逝ったとき、一番大切な人として誰かから名前を挙げられたい。という表現がありました。
正直、その気持ちが分かる。


いつか子育てをしたいという気持ちがある。

ストしとしてはあまり受け入れられる感情ではないと思うけれど、僕は小さいときからずっと子育てをしたいと思っていました。
色々と試行錯誤しながら子育てをすることが楽しそうだと思うこと。
自分のクローン的存在が育っていく過程をみながら共感したりして、絶対楽しいやんと思うこと。

愛する人と子育てをして、家庭を営む。
なんならそれが一番の幸福なのでは?という感情があるのは否定しようがない事実です。

人を愛することを考えたときに浮かぶ2つの課題

そう、2つの課題が思い浮かぶ。

1.愛するということは技術の課題である

エーリッヒ・フロムの『愛するということ』を読むと、

”人は人を愛することが出来ないとき、対象の課題であると考えがち。つまり、一目惚れの恋に落ちるようにしかるべき対象が現れたら、その人を愛することができると考えている人が多数である。しかし、愛するということは技術の課題であり、人間的に成熟した人でなければ人を愛することなどできない”

といった趣旨の表現があります(自分の記憶に沿っているので不正確です)。
自分は全面的にこれに賛同していて、
だから究極誰でも愛せるはずだ・・・と考えています。

2.その一方で対象の課題であるという気持ちも消しされない

そういったことを言っておきながら、じゃあ誰でも愛せるのか。
そう自問したとき、誰でも愛せると即答できない自分がいる。
自分を愛してくれる人を愛したいし、自分が愛したいと思える人を愛したい。

そういう自分があるのもまた事実なので、頭で本質的にこうだと思う答えがあるにも関わらず、自分の感情がついてこないというジレンマがあるわけです。


自分のモヤモヤの理由

簡単にまとめると、自分がモヤモヤしているわけはこんな感じです。

愛するということを考えたとき、技術の問題であると思いつつ自分の中にある対象の問題であるという感情が消しされない

街でナンパをしていて、自分が求めるものを得られるのか?という不安

一方で、この一ヶ月で即子の質が上がってきているという体感。

キープしたい女が増えてきた。ナンパを始める前には理想だと考えていた、可愛い・シコいと思えるセフレが5人くらいいる状態を実現できていること。でもそれに満足できていない自分がいること。

一方で今やりたいことはなにか、と考えるとストで自分の経験値を高めることだと直感で考えていること。


そういった感じですね。

とりあえず4月くらいまではストをガチろうという気持ちは変わらないので、

その過程でなんかいいなと思った女と半同棲的なことできたらいいな、と思いました。

半同棲的なことしながらもストもやって。

自分の感情がどう動いていくのか見つめていけたらいいんじゃない、



今仮で感じることはそんなところです。
酔っ払ったままなぐり書きしたけど校正もせず投稿することにします。

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