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「終活」はいらない?

依頼された仕事

この間、あるかたからお仕事のお誘いをいただいた。
ふだん、講演やセミナー、それから原稿を書いて過ごしているので
このコロナ禍で100%仕事がなくなってしまい
心配してくれた人たちがちょっとこれについて話してくれない?
といってくれたのが

終活。

ここだけの話、終活ってあんまり好きじゃなかった。
だって、墓とか相続とか葬式とか
ちょっとだけ金持ち以上の人が死んでからのことを準備する
といったプロモーションが圧倒的に多いから。
気に入らない2つの要素があって
1 ちょっとだけ金持ち以上の人
2 死んでからの準備

福祉現場にいると、この2つよりも優先度の高いことってあるよね
と思ってしまうのが理由なので。

そもそもぜんぜんお金のない人は相続するものもないし
お金がなければ親戚もからんでこないのできれいさっぱり縁が切れてる。
残った家にある荷物は最近は業者さんへお金を支払ったら
ちゃんと整理してくれるというビジネスもあるので
保険金や葬儀代の残りとかお香典とかだけでもなんとかなる。
それが、たった100万くらいのお金があったら
親戚同士が揉め始める。たった100万・・・でも。
今までこの人にこんなことされた!と憤慨しながら
全国各地からわいてくる親戚が、掛け軸や食器のひとつでも持って帰って
お金にかえようという勢いだ。
だから相続の準備は必要。だれにどれだけ残すのか。
それが整理されていると親戚たちから心から感謝される姿は
たくさんみてきた。
もめる理由がないからほどほどの距離で仲良くしていられる。
そして死んでからの荷物整理や墓、家のこと、いろいろ
けっこう大変だから生きているうちに自分の死後の
整理をしておけばこどもたちに迷惑かけなくていいっていう。
ついでにいえば、夫とは別の墓をたてたり
立派な納骨堂に入るのはわたしで、共同墓地にはいるのは夫って
こっそり決めている妻もいる。その逆もいるので念のため。
こうして、死んだ後のことを考える想像力たくましく
それをビジネスにするのがここ10年くらい
ネガティヴと言われながらもニーズが高まるので
シニア=終活=死んだ後の準備 という構図で
定期的にフェアが開催されてきた。
墓石、葬祭場、弁護士、片付け屋さん、不動産業、金融機関、
生命保険会社さんたちがスポンサーとなったフェア。
いかにも死んでからのこと、準備してねって
にこにこしてセールスマンが立っている。

その「終活」に 足をつっこんでほしいという。

ぼうとう、気に入らないと言ったが
なにが気に入らないかというと
このくらいのことはやっていてあたりまえだと思うから。
おとなのたしなみとして当然でしょう。
お金がある人はちょうど使い切ってなんてできないから
のこったものはこうします、って言っておこう。
お金がない人は、ないんです、ごめんなさいって
さきにあやまっておこう。
だけど、なにより手付かずなのがこれ。
死際をどう生きるか、どうしてほしいか、が
めっちゃあいまい。
見たくない、苦しそう、痛そう、
家族もしんどそう! 要介護になんかなりたくない!
長くなると生きてるのか死んでるのかわからなさそう!!
あぁ、あんなふうにだけはなりたくない!!!
死にたくない!!!
自分だけは死なない!!!
すぐじゃない!いつか、なんだろうけれど
いつかなんて、こないでほしい!
いざってときは一瞬で消えて無くなるって信じてるから。

残念。ひとはじわじわ命を終える

若いときに癌や事故でもしかしたら長い寿命だった人が
短く逝く人もいるのは知っている。ほんとうにお気の毒としか
いえないけれど、短命でも幸せだと言ってた人も知っている。
人の幸福は長さではなく、また、太さでもなく、
もしかすると、熱さじゃないかとわたしは思っている。
そういう価値観、生きているのがあたりまえのときは
考える必要なんてないけれど、
いざ、自分がもうちょっとで寿命だとわかったときの
そのとりみだしようは、大変だった、、、父の時。
あぁ、寿命のおわりを迎えたときは人間はこうなるのか
と、やりたい放題して、がんになって最後まで彼女を作った
あの父から、最後に教えてもらったことだ。
怖いって。
死にたくないって。
そんな父にどうしてあげればよかっただろう?
そう家族は思うのだ。

だから、命のまぎわにどうありたいか
それを決めて伝えておくのが「終活」の醍醐味であり
新しい時代のおとなのたしなみだ。
医療分野では延命治療をどうするか
介護分野ではどこで暮らしたいか
それを聞きたいと言っています。
伝えてる?ていうか、決めてる?

あぁ、終活の仕事、どうしよう。

だいたい「終活」という言葉が軽すぎるんだよね。
意味がちがう。だれがつけたのだろう?
渡辺淳一ならもうちょっとセンスのいい言葉にしただろうに。
終わりって書くのもしっくりいかない。
人生を終わらせたくないのに終わりって。
活って活動じゃない。
だって
何度も言うけれど、それ、
おとなのたしなみだから。
長く生きられるようになったから、
遊び散らかして、世の中の世話になりっ放しで
かっこわるい終わりを迎える
おとなにだけはなりたくない。



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