控えめな正義

新刊が出たら買う作家さんの一人が伊坂幸太郎。4月末に出た『逆ソクラテス』も買って、読み終えました。各話小学生を主人公にした、連作短編ではないけど、同じ単語が出てきたりして少しずーつ繋がってはいる。今回も安定の(というのが誉め言葉として適当かはわかりませんが)面白さでした。

読み終わって、改めて伊坂幸太郎作品が好きな理由を考えてみました。時期によって作風も変わるので必ずしもすべての伊坂作品に通じるものというわけでもないですが、ひとつ「これなんじゃないかな」というのが思いつきました。

多くの人が言っている「伏線が回収されていく展開」はもちろん好きなのですが、それだけが伊坂作品の特徴ではありません(そもそも、誰が言ったかすら忘れましたが、「伏線が回収される」のではなく、「回収されてはじめてそれが伏線だったことがわかる」が正確であって、「回収されない伏線」は存在しない、という説を僕は支持します。)

伊坂作品では、主人公がいつもいわゆる英雄ではなくて、でも何か問題が生じたときにどうにかできないかと悩んでいて、登場人物の周りにいる人たちの助言で少しだけ自分の殻を破るというのがよく描かれる印象です。

「○○王になる!」とか「全国制覇だ!」とか「俺が世界を救う!」とか、そういう熱血も大好きですが、「世界を変えることはできなくても、これぐらいなら自分にでもできるんじゃないか」という控えめな正義感が、心地よいなと感じ、自分も(少なくともその瞬間は)「少し勇気を出してみよう」と思えるのが、好きなんだろうなと思いました。

あと、主人公の周りにいる人たちが、なぜか自信満々に持論を展開する場面にいつもすっきりします。ときに意見を押し付けてくるのも、なぜか救いに感じられる。そんな言葉を僕も誰かに与えられているといいな。

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