失敗はするもの

失敗はするものとしていろいろ考えた方がいいんだろうなと思います。というか、「失敗を恐れずにチャレンジしろ」と言うぐらいなんだから、失敗したときのことも教えておくべき。

父から聞いた話ですが、父が小さいとき、父の実家の裏には大きな池があったようで、年の近い弟(僕の叔父にあたる人)とよくそこで遊んでたらしいのですが、その池の周りは長く伸びた草で覆われていたようで、池と地面の境目がはっきりせず、伸びた草もすべりやすくなってるものなので、池を覗こうとして草に足を乗せたりすると、つるっと滑ってしまったり、そもそもそこが地面じゃなかったりで、落ちてしまうことがあったようです。

「危ないから近づいてはいけません」と教える人が多いようなこの池ですが、僕の祖母は違っていたようで、「いい?池に落ちたら、パッと草を掴みなさい。そして残った方が急いで助けを呼びなさい」と二人の息子に教えていたようです。

危ないところだったとしても、子供は池があれば覗こうとするもの、そうすると落ちることは十分に考えられる。「行くな」と言ってもどうせ行くのだから、落ちたときのことを教えていた、ということかなと思います。僕も、僕の父が素直に「危ないから近寄るな」という指導を聴いていたとは思えません。

実際に何度か落ちたことがあるようで、祖母の教えのとおり草をパッと掴んで、もう一方が助けを呼びに行っていたようです。

なにかのやり方を教わることはあっても、失敗したときにどうするかはあまり教わった記憶はありません。父は僕に「悪いことはしていいから、怒られるときはちゃんと怒られなさい」とか「ミスをしたときはすぐに謝りなさい」とかそういうことを教えてくれました。こういうリカバリーの仕方を教えるというのは、とても大事だなと感じます。

失敗を責めることは簡単で、自分が上司的な立場ならなおさらです。先に失敗したときのリカバリーの仕方を教えていなかったのであれば、一緒に処理をしてあげる、またはリカバリーの支持を出す。そういう態度が大事なんだろうと思います。

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