夫の剥いた桃を見て、母の愛を思い出す
「代わってあげたい」
昔から、私が体調を崩した時に母はいう。
熱や腹痛、生理痛がつらいときはもちろん、成人式の前になぞの発疹がうでに出た時や、大事な日の前に声が出なくなってしまった時、結婚の前撮りの前に首に大あざが出た時も言っていた。
「代わってあげたい」
そんなバカな、と思った。
可哀想に、早く治るといいね、はわかる。
相手のために、自分が100%デメリットを被りたいという思いは、正直生まれてから1度もなかった。
言う人や言い方によっては、嘘くさく聞こえるかもしれないけど、母の言葉は本当だ。心からそう思ってることが私にはわかる。
母は、愛という言葉を使わずに愛を表現するのがとても得意な人だ。
「いい夢見てね」
少し嫌なことがあったと母に愚痴った日、寝る前にかけてくれた言葉だ。ふざけてるわけでも、気取っているわけでも、海外映画かぶれなわけでもない。
心から想いが溢れ出た、そんな言い方だった。
私は、母に愛されているのだ。
絶対的な確信が、嫌だった気持ちなんてフワッと包み込みどこかにやってしまう。
現在私は結婚し、夫とふたりで暮らしている。
母の日でもなく、実家に帰ったわけでもない今日、そんなことを思い出したのは、午後に夫が剥いてくれた桃に、母と似たような愛を感じたからである。
私をたくさん愛してくれた母を
私もたくさん愛したいけれど、
母はきっと
「私のことなんかいいから旦那さんを大切にしなさい」
というだろう。
私は今日も夫の寝顔を見ながら、
「いい夢見てね」
と声をかける。
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