ほこりの匂い・・・奥野 満

 時は流れ去り、二度とやって来ないものなのか。それとも私たちは、目の前で繰り広げられる様々な形象のスペクタクルに目が眩み、円環する時の真相を取り逃がしているに過ぎないのか…
 私はボスニアの山奥のとある集落に、そこを出身とする友人の誘いで滞在していた。数年前にオーストラリアを旅していたころ、ハレクリシュナの寺院で出会ったトム。クロアチア人の彼は幼いころ、ふるさとで起こった内戦から逃れドイツに亡命した。
 私はその内戦に覚えがあった。といっても、学校の世界史の授業で扱われていたのを記憶していたわけではなく、また個人的に興味があって関連する本を読んでいたわけでもない。それを知ったのは、大学生のときに読んだ2ちゃんねるのとあるスレッドがきっかけだった。そこには、研究者の父が当時はまだユーゴスラビアと呼ばれる国にあったサラエボに赴任し、そこで幼い時期を過ごし、戦争を実体験したという日本人男性の手記が投稿されていた。
 それまで仲良く学校で遊んでいた仲間たちが、大人たちの都合でバラバラになり、何も知らないまま戦争に巻き込まれる。目の前で友達が犯され、殺される中、兵士から身を守るために暗い山を何日も歩き回り、空腹を凌ぐため、人の死体を口にする――そんな話だった。

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