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平和学習が苦手だった

実習全体を振り返る前に、こんな話題を。
福岡大空襲が6月19日だという関係で、福岡では6月の上旬~中旬にかけて平和学習をしている学校も多いと思います。
平和学習とは、戦争について知り、平和について考える時間。とても大切な時間だと思います。
時期的に、実習校でもちょうど平和学習をしていました。

突然ですが私は小中学生の頃、平和学習が苦手でした。
まあおそらく、あれが大好きだという人もいないというか、そういうものと言ってしまえばそうかもしれません。
発端は小学校1年生の平和学習でした。
小学校入学前の私は、戦争とか歴史とか何も知りませんでした。そんな状態で、入学からわずか2か月後に行われた平和学習、今思えば受け止められなくても仕方ないような気がします。
先生が赤いチョークを使って黒板に無数の線を引き、「ひのあめ」の絵を描いたこと、映画「火垂るの墓」の空襲のシーンを見せられたこと、『かわいそうなぞう』という絵本の読み聞かせ、今でも鮮明に覚えています。
戦争が起こるとたくさんの人が死ぬ、そんなことが実際に日本でも、福岡でも起きたんだ、戦争は他人事ではない、というメッセージはついこの前まで何も知らなかった小さな私には重すぎました。
それ以降私は普通に空を飛んでいる飛行機を怖がったり、おうちがまわっている(めまいがする?)とか家から出たくないとか訴えるようになったりして、割と日常生活に支障が出ていたらしいです。そのことはもうあまり覚えていないので母から聞いた話なのですが、今になって考えてみると、あまり知識のない状態で”戦争は他人事ではない”と刷り込まれた結果、いつどこで誰かが攻めてきてもおかしくないってこと?という風に変換されてしまったのではないかと思います。
年齢が上がっていくうちに、知識も増えたし歴史と現在の区別もつくようになって、そこまでの拒否反応を示すことはなくなりました。
しかし、自分の意思とは関係なく悲惨な映像や写真を見せられたり悲しい話を聞かされたりして、「平和は大切」ということよりも「怖いなあ」しか残らない平和学習が多かったような気がします。
怖がらせることが、平和学習の目的なのでしょうか。戦争を教えることだけが、平和学習なのでしょうか。
特に低学年の場合、その前に何か土台を作る段階なのでは、と思います。

話は変わりますが、実習校の平和学習はタブレットを使った調べ学習スタイルでした。班ごとに振り分けられたテーマに沿って自分たちで調べてプレゼンテーションをつくり、クラス内で発表会をする。そうすることで、自分の班が調べたこと以外についても知ることができるという仕組みでした。
このスタイルの平和学習では、基本的に生徒自身による活動がメインとなっていたため、重苦しい雰囲気が先生によって演出される、というようなことはありませんでした。加えて、自分で調べるスタイルをとることで、情報の取捨選択を自分ですることができます。このサイトを見てみよう、このサイトは見ないでおこう、というように、主体的に情報を得ていくことになるので、無理やり見せられたという感覚に陥ることはなさそうでした。
自分たちで調べた情報、クラスの友達が発表している情報だからこそ、しっかり聞くし考える、というような様子も見られました。
もちろん、調べ学習のスタイルをとることで、情報が偏っていたり、情報源がはっきりしていないものがあるというようなデメリットもあると思いました。ただ、主体的に調べていく方法の方が、情報を受け入れやすいのかもしれないと思いました。
私の実習が終わった後に、戦争経験者の講演会を聞く時間も設けられるとのことでしたが、こうやって自分たちで調べ学習をした後であればある程度ベースとなる知識があるので、ただの怖い話にはならないような気がしました。

初めにも書いた通り、平和学習は大切な時間だと思います。もちろん、小学1年生には中学生のような調べ学習ができないことも分かっています。
だけど、発達の段階、理解のレベルに合わせた学習内容と、学習に主体性があることや情報を得るかどうかの選択が可能であることは、特にこのような学習では重要になるのではないかと思いました。今の小学校でどんな平和学習が行われているのかはわかりません。ですが、実習に行って久しぶりに平和学習というものに触れたことで、少なくとも自分が受けてきた平和学習は目的と方法、ちゃんと一致していたのだろうか?と、考えるきっかけになりました。

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