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A5のウシさん

 この国のメディアには、触れてはいけないタブーのカテゴリーがあって、その最たるものは 今話題のジャニーズや歌舞伎界なんかより、実は食肉関連なんだろうなぁと思っている。もちろん廃棄物や同和関連なんかも、見えないところで暗黒面が蠢いていると聞くけど、毎日の食卓に関係の深いお肉には明るく華やかな光の部分と、絶対表に出ない影の部分がある。
 グルメ番組なんかでは黒毛和牛だわ、希少部位だわ、幻の◯◯牛だわといって有り難がっているけど、肉になるには元気なウシさんには死んでもらわなきゃいけない訳だ。その必然が今回のテーマである。

 『ドナドナ』は小さな頃に誰もが聴く歌なんだろうが、あの歌の仔ウシも 結局肥育され屠畜されるために生まれ育てられて来た。いや、もしかしたら『仔牛肉の香草焼き ◯◯風』みたいなヤツもあるから、荷馬車に乗ってそのままツブされる運命だったのかもしれない。

 当たり前だけど、人間はウシもブタも家畜は皆 生きたままじゃ食べることができない。ただ、多くの人は屠畜の現場から目をそらしている。無きものの如く、見ないようにするし 知ろうともしない。みんなみーんな焼肉やしゃぶしゃぶが大好きだから、その肉のほんの少し前の姿のことなんかを思うわけもない。

いわゆる『霜降り肉』
(これは近江牛らしい)

 多くの人にとって『肉』は、この画像みたいなものをさす。生き物が殺されて肉になる場面を見たいとは思っていないのは『可哀想だから』または『グロくて気持ち悪いから』だ。でも日本人は魚はそう思う対象じゃないから、舟盛りを見ても 美味しそうとしか思わないんだけどね(欧米には舟盛りを見て 残酷だと思う人が少なくない)。

 『ブタがいた教室』という妻夫木聡さん主演の映画があった。年度初めの4月、6年生の教室で『食べるために』クラスでブタを飼い始めた。餌や糞なんかの世話はもちろん、募金を集めたり色んなことをして、みんな一生懸命に Pちゃんと名付けたそのブタの世話をした。でも卒業が近づいてきたらこれまで可愛がり育ててきたブタを『肉』にすることができない生徒たちが多数出てきた。情が移ってしまってもはやペット化したブタをどうすれば良いのか・・・。
 実話に基づいた映画らしいのだが、多くの人がどうすれば良いのかがわからないだろう、また世の中に問題提起でき 話題性が高いだろうと制作側は踏んだに違いない。思惑通り我々はその答えが出せず、子供達の色んな考え方や悩みに右往左往してしまう。しかしそれも当然で、現代に生きる我々は動物の死を隠されているから、或いはもっといえば動物の死と食肉を別のものだと思わされているから、このブタの正しい処遇について判断ができない。

 私は離島生まれで昔の人間である。小さな頃はニワトリなんかの小さなものはもちろん、青年期以降はシカなんかが手に入れば裏の川で捌いていたような日常だった。だからだろうか、この映画において ブタが可哀想で食べられないという気持ちは、わからなくもないんだが なんか違うなぁと感じる。私がこの生徒たちの担任だったら、可哀想などと言っている子供たちには『このブタは食べられないのに、お母さんが作る生姜焼きは食べるんだね?』と問いただす。泣き出す生徒もいるかもしれないが(最近は親世代の理解も得られないかも・・・)、これは残酷でも意地悪でもでない。人間はそうやって命を保っているのだが、そんなことって今小学校では どの位の深さ(ていねいさ)で教えてるのかなぁ。

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