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ドッキリ&サプライズ 考

 『いじめはいけない』。確かにこの一文だけを見ればもちろん正しい。しかし いじめとは何か? を考えるに、公の定義としては『当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの』とあるが、要するに寄ってたかってターゲットたる1人に対し身体的に、あるいは言葉なんかで心理的に攻撃することだと解釈している。

 ここで『ドッキリ』と呼ばれる TVのバラエティ番組を考えてみる。ターゲットは基本1人。仕掛け人もスタッフも全て筋書きをわかっている。知らないのは仕掛けられた人だけである。1人ターゲットは憐れにも 穴に落ちたり、高額請求されたり、貴重な文化財を破損させたり、隠し子が現れたり・・・。TV画面を通じて全国民は、被害に遭っている1人が様々な手段によって 困ったり痛がったり泣いたりするのを見て笑うのである。困れば困るほど、痛ければ痛いほど、泣けば泣くほど より面白い。しかしこれは小学生や中学生の子供が、誰かを仲間外れにするのと構図が似てはいないか。

 『ドッキリ』と呼ばれるいじめ行為を見て面白いと思える人は多い。だからこそスポンサーもつくし番組も成立するのだろう。私は『いじめはいけない』と思っている人が、それでも『ドッキリは面白い』と感じていることに大いなる違和感を持っている。

 もう一つ。アメリカ人の影響だろうか、『サプライズ』が好きな人も多い。ホント なんで驚かせなきゃならんのだろうか? 私は無粋なのかもしれないが、驚いたからとて喜びが増す訳でもなく、ましてや自分以外の周囲だけがタネを知ってるとなると私なら『騙された』と思ってしまうだろうなぁと思う。フラッシュ・モブ離婚なんてのもあったけど、私はあの新婦さんの気持ちがよくわかる。辛かっただろうなぁ。

 改めて『サプライズ』が好きな人に、ターゲットを驚かせる理由もそうだが、周囲の全員が事情をわかっていて、1人だけを騙していることに罪悪感はないのかを訊いてみたい。仕掛けられた方が嫌な思いをするかもしれないとは考えないのか? そこに思いが至らないのなら、その行為は相手のためではなく仕掛けた側のためにやっているに過ぎないではないか。どうして誠実に対応してあげないのか?

 きっと『ドッキリ』を楽しく見られる人は『お笑いなんだから、そんなにメクジラ立てなくても・・・』と言うんだろうし、『サプライズ』が好きな人は、『いいじゃないの!盛り上がるんだから!』と言うんだろうと想像がつくけど、それは『そんなに嫌がっているとは思わなかった』とか『みんなで遊んでただけ』といったイジメの加害者の常套句と相通じるものがあると感じる。

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