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気が置けない友

 ある調査によると意味を正しく理解している人より、間違った解釈をしている人の方が多い 誤用界の横綱、それが『気が置けない』である。なんでも『油断できない』みたいに逆の意味に捉えている人が多いらしい。
 でもきっと我が校の生徒くらいの年代なら 間違って理解しているというより、そもそもそんな言葉は聞いたことがないだろうと思う。最近あまり耳にしないからだ。今回はそんな『気が置けない』友についての話をしたい。

 気心が知れている とか接している時間が長いという友達や知り合いはいても、心から信頼し合えている人はなかなかいない。私は精神的な意味として 人と人がある一定以上には距離が縮まらない理由として『遠慮』と『義理』が大きく関係すると思っている。

 遠慮という感情によって、したいことであっても『しない』という選択をし、義理というしがらみによって、したくないことであっても『する』という選択をする私たち。

 思うに対人関係においては、誰にでもあるこの『遠慮』と『義理』という2つの気持ちが 極々少ない間柄こそ『気の置けない』ということなのではないだろうか。
 以下、私の中で『このあたりが現実的にあり得るギリギリの境界じゃないのかな?』と思う微妙なラインを2例考えてみた。一般的には非常識とか冷たい人だと思われてしまう可能性の高い話には違いない(礼儀をわきまえないヤツと思ってしまう人が多いだろう)が、これができる関係が成り立つなら 間違いなく『気が置けない』間柄だと思う。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆

例題1 《遠慮》
 あなたの古くからの友達であるAさんは旅行が好きで、しょっちゅう色々なところに出かけ、そのたびに仲のいい人たちに お土産を買ってきてくれる。以前貰った道後の温泉饅頭は、食べた全員が口をそろえて 美味しいと絶賛した逸品だったのだが、先日また旅行に行っていたAさんが、今日あなたに『日本一美味しいって評判の伊香保のお饅頭を買ってきたから貰ってね!』と言って一つの包みをくれたのだった。
 帰宅後あなたは 件の道後のお饅頭よりさらに上なのか! と大いに期待して包みを開けたのだが、伊香保のお土産は残念ながらあなたには甘みが強過ぎて皮もバサバサであり、道後のものより味が劣っているように感じた。
 次の日、Aさんから電話があった。『どうだった? あのお饅頭? 最高だったでしょう!?』。この時Aさんに対して『昨日は有難う。でも私はこの前の道後のお饅頭の方が美味しかったわ』と言える・・・。

例題2 《義理》
 あなたの友達であるBさんのお母様が亡くなったという報せがあった。その方はあなたの住まいから電車で30分ほどの場所に住んでいるのだが、これまで会ったことはない。しかし3年前にあなたのお父様が亡くなった時には、Bさんはあなたの実家まで車で1時間の道のりをわざわざ駆け付けてくれた。
 聞けばお葬式は今週の日曜日なのだが、その日は入学の祝いを兼ねた、あなたの子どもたちが前々から楽しみにしている、入場予約済のユニバーサルスタジオに家族で出かける日とかぶっていた。あなたのご主人の仕事の都合を考えると、これを逃すと2.3ヶ月は同様の計画は立てられそうもなく、入学のお祝いとしては時期がズレてしまうし、何より子供たちの落胆は目に見えている。
 お通夜だけにでも出られれば良かったのだが、一日葬のためお通夜はない。肉親を失って悲しそうにしているBさんに、あなたは何と言うだろう? 別の用事をでっち上げたりせず『お葬式の日は家族で出かける用事があるから、週明けにお邪魔しますね』と言える・・・。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 それがたとえ一時的だったとしても、冷たいヤツだ とか自分のことしか考えないヤツだ と思われることは避けたい私たち日本人。後でわかってくれたらいいとは絶対思わないものだ。しかし他人を不快にさせないように気遣うウラには、他の人も私の気持ちをわかるべきだと思うイヤらしさが存在する。それは我々の体内に流れている、太古より調和を第一として生きてきた民族の血のせいなのかもしれない。

 私は人と人が信頼し合い 深い所で繋がり合えれば、この『遠慮』と『義理』という 巨大な怪物をも凌駕できると思っている。本当に信頼し合っていれば、貰った饅頭を食べた時に正直な感想が言えるし、あげた方も『不味い』と言われても(へぇ、口に合わなかったんだ)と思うだけだ。また葬式より優先したいことがあるから、そちらには行けないという事情が言えて、遺族側もその人の状況を理解しようとする。それ位で両者の関係は崩れない確信があるからだ。ちなみに私にはこのレベルの間柄だと思っている人が1.5人いる(笑)   0.5人の方は状況によるからだ。また偏見かもしれないが 失礼ながら女性同士の対人関係において、肉親以外でこの関係が成り立つ例をついぞ見たことがない。

 遠慮や義理で縛られてガチガチになった関係から解放されたら楽だろうなぁと独り言を言いながら、それは無理だろうとも思っている私である。

 あんなにしてやったのに
  『 のに 』 がつくと
     ぐちが出る   みつを


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