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再生専用端末

 全ての人は、自分の頭で考えるタイプと、指示に従うだけのタイプに分かれると思っている。当事者意識や主体性などという価値や考え方がビジネスにおいてよく取り沙汰されるが、仮にわずかな当事者意識はあったとしても、オロオロするだけで誰かが指示してくれるのを待っている半端なパターンも、世の中少なくない。

 これらはなにも仕事だけに限ったことではないのだが、あらゆる事柄に対して頭を使わない人は、自分の辞書に『自分が考えて自分が判断する』という文字は載っていないから、自分は頭を使っていない、あるいは自分には当事者意識が無いとはそもそも思っていない。だからそんな人に当事者意識の無さを指摘しても『は?』という顔をされたり、場合によっては『何言ってんだお前は⁉️』と反発されたりするのである。陸上の為末大氏もこのことを仰っているが、往々にして当事者意識などというものは、幸運にしてそれが身についた後で我が身を振り返った時に初めて『あの頃の私には無かった』と気付くものだから始末が悪いのである。

 しかしこの『そもそも自分が当事者意識が無いとは思っていない』一群に属する人たちの話なのだが、実際に本当の本当にそのあたりの意識の無いという人が増えてきた気がする。全くない。皆無なのである。そんな人に対する指導や教育はどうすればいいのか。これはきっと多くの管理職が抱える共通の悩みなのだと思う。私もここしばらくこの案件を考えてきた。そして一つの結論に至った。当事者意識が皆無の人には、機械的・事務的に彼らが考えずに動けるように指示してあげるのが、そのタイプの人を活かす最良の方法なのである。能力の上書きができないのならば、再生しかできないDVDプレイヤーとして、その能力を最大に発揮してもらうしかないんじゃないのかと思える。その人にわずかでも成長・向上の可能性があるなら逃さないようには気をつけてはおくが、考える限りの指導や教育にどうしてもフックしない人材ならば、再生をするだけとして働いてもらうことが全員の幸せなのかもしれない。いわば量産型の再生専用端末である。

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