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ド演歌という病

 今年初め、まだ寒かった時分に「ビジュアル系という病」という駄文をnoteにアップした。内容はビジュアル系の曲にありがちな歌詞のパターンを茶化したものだ。調子に乗って今回は演歌について。実は昔から演歌というものに疑問を感じていた。演歌とは何だろう? そう考えながらいつものように勝手にワーワー言ってみる。しかも大上段から。ちなみにそのカテゴリーの存在価値を否定しているともとられないほどに悪口を言いながらも、実は私は丘みどりさんが大好きなのである。ご結婚されるみたいだが、これまでの歩みを振り返れればご苦労もあったものと推察する。幸せになってほしいと心から思う。

 演歌を分類分けしてみる。まずはムード歌謡と呼ばれる一群。『◯◯◯◯と△△△△』みたいな名前のグループが定期で、歌うスタイルとしては全員がスーツで歌うことが多いだろうか。『◯◯◯◯と・・・』というくらいだから◯◯◯◯さんがリーダーなんだと思うのだか、歌っているところを見ても誰がその人なのかがわからない。一人だけ違う衣装でも着てくれていたらわかりやすいのに。しかしバックコーラスを担当するメンバーの△△△△の人たちは、時々「ワワワー」というだけから、仕事を公平に分けられているようには思えない(笑)   もしかしたらジャ〜ンと最後にだけ鳴らすオーケストラのシンバルみたいな立ち位置なのかな?
 続いてポップス歌謡曲調演歌。こちらは散髪したてで濃いめのメイク(特に眉毛は必要以上にキリッとしている)の男性歌手がスパンコールがキラキラした衣装(燕尾服をアレンジした感じ)で歌うイメージ。貴公子的ないでたちだね。熱狂的なオバちゃんがファンについて入るが、決して大ヒットはしない。
 そして、最後に今回のテーマであるド演歌だ。大御所と呼ばれる人たちは、ほぼこのカテゴリーに入るだろうか。この手の曲には着物が似合う。というか着物しか似合わない。だから着物を着た歌手が歌う曲は、ほぼド演歌といえる。今日はこのド演歌について、少々思うところを述べてみたい。

 楽曲を制作される仕事をされておられる方や、さらにダイレクトに歌手の方々には怒られる話かもしれないが、俗にド演歌という音楽の、リズムやメロディパターンはきっと大昔から現在に至るまで、狭い枠から出ていないのではないだろうか?『ヨナ抜き音階』と呼ばれる単純な音の組み合わせであることと、何より新しいメロディラインというものを感じないからだ(それがあるとド演歌にはならないがw)。今のJ-POPでは変調は当たり前だし歌唱にファルセットを多用していることがほとんどだから、次にどんな音がくるのか予想できないことも多いが、ド演歌の場合はそんなことはなく、大体はどこかで聞いたことのある旋律なので驚きはなく、次にくる音の予想が立ってしまう。そして私はそんなものが創作といえるはずは絶対ないと思っているのだ。もしかしたらあれは形式の美なのだろうか。水戸黄門か? 聴いている人の安心することだけがテーマなのであれば、それもアリなのかもしれないが。

 「男の◯◯」や「◯◯の女」のような人生における男女の生き様系、または「◯◯岬」や「◯◯海峡」のような地名入りタイトルの曲がド演歌の典型なのかな? 私見ながらその価値で成立している歌のファンは、私と同世代にほぼ存在せず、さらに上の世代が中心だ。ならばこの先15年もすればほとんど存在しなくなってしまうんじゃないだろうか。そうなると今この瞬間にも、ド演歌というジャンルは絶滅危惧種なのかもしれない。

 曲を作ろうとすれば作曲者が必要だが、ド演歌の場合、なんせこれまでにできているパターンの中から選び出しているだけなので「作」曲ではなく「選」曲または「抜」曲でしかないと言えば言い過ぎであろうか? 昔同僚(学生時代からライブ活動をしたり夜の酒場で歌っていたいわばセミプロ)と、「ド演歌のイントロを作る」というテーマで、メロディを即興で4小節ずつ作りながらチャンチャカと口ずさみ、順番に繋げていくゲームをよくやった。前述の『ヨナ抜き音階』を適当に散りばめて演歌っぽい旋律に仕立てるだけの簡単な「創作」ゲームなのだが、私のようなただの音楽付きの人間であっても飽きるまで永遠に続く。この遊びはどこかで聴いたかもしれないメロディの並べ替え作業でしかないが、仮にド演歌の最新曲を聴いても私は似たようなものだとしか感じないのである。

 調べてみるとかの “ 水色のワルツ ” の高木東六氏や、“ ドラクエ “ のすぎやまこういち氏、また “ ブルースの女王 “ 淡谷のり子氏も同じようなことを仰っていた。決して彼らに心酔している訳ではないが、十年一日の如きド演歌の作曲の世界にどうして彼ら以外からは疑問の声が聞こえて来ないのだろうか? 確かに美しいメロディの曲は演歌の中にも存在する。しかしながらその演歌はド演歌ではない。“ さびれた漁港にある小さな居酒屋の経営者である女が、一人折り鶴を作って来ない男を待つ ”  みたいな、古来より連綿と受け継がれた世界を歌ってはいないのだ。

 パターン化したド演歌ならAIにかかればイントロを含めても無限に作れるんじゃないのかな?と思ってしまう。いや、「作る」訳ではないけれど。

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