昭和 切な歌

 昭和はどんな時代か。私は結婚してすぐ昭和が終焉を迎え、下の子供が成人した年(子育てが一応終わった年)に平成が令和に変わった。人生の区切りが元号の切り替わりと重なっていて運命の不思議を感じている。
 今回は昭和の歌謡曲の中でもそんな昭和の世相を反映して、私が『切ないなぁ・・・』という印象が強い歌を思い出して並べてみた。もちろんあくまで私のお気に入りのものからの抽出である。

《木綿のハンカチーフ》 太田裕美

 もめん・・・? ハンカチーフ? よく考えるとそんな言葉は日常では使わない。もちろん作詞の松本隆さんはそんなことはわかっていてあえてそう表現したのだろうが。このように世の中には歌や文章、また漫画やアニメだけに存在する言葉がある。たとえば二人称である『君(きみ)』や語尾に付ける『だぜ』など。日常会話で使うとおかしくて笑われるやつだ。
 閑話休題。能天気な男と純粋な女。恋人より愉快な都会での暮らしを選んだ男。ファーストテイクで女優 橋本愛さんがこの歌を歌う映像には、見ているこっちまで泣きそうになった。この歌の歌詞には批判もあると聞くが、もう戻ってこないであろう恋人の体調を気遣う優しさと切なさに、私は胸が苦しくなってヤラレた口だ。


《ひこうき雲》 荒井由実 

 この歌は特攻隊の隊員のことを歌ったものだと言う人がいるが、そうなのかもしれない・・・と思う。きっと歌詞の中にある『空に憧れて 空をかけていく』『あまりにも若すぎた』『けれど幸せ』という言葉たちは、先の大戦末期に生還を期さず空に飛び立った若者の気持ちを表しているのかな?と感じるからである。ジブリ映画『風立ちぬ』の主題歌になったこともその説のきっかけになった根拠なのかもしれないが、主人公の堀越二郎氏とて後に自分が設計した零戦で日本軍が体当たり攻撃を仕掛けることになろうとは、また戦後何十年も経って自分が主役としてアニメーションに取り上げられようとは思ってもいなかっただろう。この曲は今聞いてもイントロが流れて来るだけで胸が締め付けられる。まさに希代の天才、ユーミンの出発点だ。
 張り付けた動画はあえて aiko さんがユーミンのピアノで歌った時のもの。


《逃避行》 麻生よう子

 ダラシないね、この男は。いやぁ昔から一途で健気な女性はつまらない男に引っ掛かるんだよねぇ。『それがなきゃいい人なのに・・・』と歌われてはいるが、そんなこともない。それがなくてもクズはクズだ。午前5時に駅で女性と待ち合わせて逃避行の約束をしていた男。酔いつぶれていたのか別の女に引き留められているのか・・・。アホらしいし何よりこの女性がかわいそうだ。これも女性ホルモンであるエストロゲンの精神面での作用なんだろうか。相手の男の悪いところは気にならなくなって、いい人だと思わせる精神的な作用があるらしいからね。
 この女性、結局1人で切符買うんだけど、 気になるのは『遅れたなら先に行く』という2人の約束だ。この女性は結局この男を忘れられず、『先に行く』んだ。勝手な推察だが、行った先にその男は来ないことは考えないのか? アタシャ思うが・・・、来ないぞ。


《景子》伊藤敏博 

 この歌を初めて聴いた時には衝撃だったし、なんて切ない話かと思った。しかし私がそう感じた理由を話せば、きっと多くの女性は賛同しないだろう。お別れする男性を苦しませることがわかっているから、その人の子供を妊娠していることを告げずに堕胎手術をする自己犠牲心が痛々しいと当時は思ったのだ。しかし多くの現代の女性はそんな古風でつつましい(?)女の価値観が『美しい』とは感じず、どうして女ばっかりが辛い思いをしないといけないのか? 女性蔑視ではないかと憤慨するんじゃないだろうか。
 ちなみに今私はこの歌の『私』ももちろんそうなのだが、父親の行動が別の意味で切ない。自分の娘が、家や親を捨ててもいいと思うほど好きになった男に、別れてくれと泣いて頼む父。・・・いやいや、でもそれはしちゃいけないことだ。いけないことなんだけど、気持ちはわかる・・・。

《神田川》 南こうせつとかぐや姫

 貧乏はするべきだと思う。10年も経てばいい思い出になる。さて貧乏ソングの大定番である「神田川」である。歌ではボロアパートでおままごとのような同棲をしてる若者が主人公だ。四畳半フォークという呼び方が流行ったものだが、この歌の中ではさらにその2/3の広さである3畳だ。
 トイレがないから共同トイレを使い、風呂がないから銭湯に行く。若い頃の私もその手のアパートの住人だった。月8万円の給料は家賃と食費、また美容師という職業柄服飾費も多少ながら使い、講習費やレッスンに使う道具類も買わないとダメだし、ハサミのローンがこれまたイタい。同じような境遇のヤツらと残金を握って安酒場に1,2回行けば毎月すっからかんになった。そんな生活の中、私はジュウシマツを飼い、その2羽を飽きることもなく眺めた。不自由だったけど寂しくはなかった。
 同名の映画も観たけど、歌の世界の切なくも美しい透明感のようなものは感じられず、ただただ現実の厳しさを暗く描いただけのように感じたものだが、今観たらどう思うんだろう。何十年ぶりに観てみようかな。

《昭和枯れすすき》さくらと一郎

 いやぁ暗い。『貧しさに負けた』んだよなぁ。『この街も追われた・・・』だもんなぁ。挙げ句の果てに『いっそきれいに死のうか・・・』か。何をしたんだろう、この2人は? 犯罪でも犯したのか? さくらと一郎みたいな ザ・昭和なネーミングもナンだが、色々と問題がありそうな歌詞は、今なら発売には踏み切れないんじゃないだろうか? この歌の中で死のうかどうしようか?みたいなギリギリのところで歯を食いしばってる2人には、可能性のかけらさえ見えない。社員のヤル気を創出するセミナー講師ならこの2人にどんな言葉をかけるのか。
 花が咲かないんだ。枯れすすきなんだもの。はぁ・・・。せめてシケモクでも吸うか・・・って俺はタバコ吸わないんだった。

 私ごときが語るのはムリがあろうが、昭和という時代は今より何倍も世の中に『切ない』結果というものがあった気がする。人々がパワフルである反面 、運命には逆らわないことが当たり前だったのだろう。色んな『理不尽』や『かわいそう』に思えることでさえ、人々は『でも仕方ない』のだと受け入れていたのではないだろうか。

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