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あの子はいまなにを考えているのだろう


今回の話とはまったく関係ない画像なんだけど、子供の頃の自分をぎゅっと抱きしめてあげたいと思いながら書いた記事に、ちょうど画のイメージがぴったりだったコミックスの1ページから。
映画化もされたこの本の話もいつか書きたい。

子供の頃「場面かんもく」で、幼稚園の時からすでに「ほぼ毎日通う場所」「ほぼ毎日会う家族以外の人」とおしゃべりする事が出来なかった。

場所が変わっても、その人とどこかであったりするとしゃべれない。

当時は「場面かんもく」という専門用語、解釈はあったかもしれないが、全く一般的には知られた症状ではなく、私はただただ「無口な子」「恥ずかしがり屋」と言う風に見られていただろう。

10代の時は、通う場所が嫌で嫌で、一刻も早く義務教育が終わればいいと思っていた

20代になって、そんな「しゃべれなかった私がいた場所」から離れたい、忘れたいと思っていた

30代になって、本当に忘れて日々をすごしていた。忘れようと思って忘れたのか、そんなこと全く意識せず忘れていたのかすら忘れたけど

40代になって、なぜかしょっちゅう「しゃべれなかった私」がでてくる。でてくるというのは、またしゃべれなくなるのではなく、私の記憶に蘇ってくる。頻繁に。

学校を卒業して、しゃべれなかった私が過ごした地元に居たくなくて、一度は離れたけれど、また戻って

どこかでだれかに
「しゃべれなかった私」
を知っている人にあったらどうしよう、同じ職場になったら、街であったらどうしようと思っていた時期もあった

それはたぶん20代の頃。

まだまだわたしは引きずっていた。

30代の頃はなんで忘れていたのか、、、たぶんもっと違う事に気をとられていたし、ある意味で吹っ切れていたのだろう
でも、それは本当の意味で吹っ切れていたのではなく、忘れたいからそうしていたのかもしれない。無意識に。

40代になって、いろいろきちんと考えるようになった。

なんで「しゃべれなかった私」を知っている人に会うと困る?
なんで「しゃべれなかった私」を忘れなくてはいけない?
あの頃の私のなにがいけなかった?

私は私に今は聞くことができる。
応えはシンプルだった。


知っている人に会ってもわたしは困らない。
あの頃の私を忘れる必要はない。
あの頃の私はなにもわるくない。


私がしゃべれなくて、同級生がつまらないだろうな、
皆楽しくしているのに、ひとりしゃべらない私がいる事でクラスの雰囲気が
悪くなっているのかな、
先生も困ってるんだろうな、
たまたま当たったクラスに、全くしゃべらない子がいるなんて
なんでだよって思っているんだろうな
学校に行きたくないけど、学校に行かないと親が困るんだろうな
私みたいな子がいてみんな困っているんだろうな

子供の頃は、ずっと思っていたから。

私がしゃべらない事でみんなに迷惑をかけている、そう思っていた。

そう思う反面

なんでみんなわかってくれないの?とも思っていた
しゃべりたくてもしゃべれないんだよ
面白くないからって無視したりいじめたりして何が楽しいの
先生もなんでそんなハレモノをさわるような対応ばっかりなの
もっとぐいぐい話しかけてわたしをかまってよ
なんで学校にいかなきゃいけないの
家にいたら何がいけないの

だれかを傷つけている訳じゃない
しゃべれなくて一番困っているのはわたしなのに
なんでみんなが困った態度をしているの


だけど大人になって

だいぶ大人になってこう思うようになった

みんな、どうしていいのか分からなかったんだよ
だけど、それをあなたが肯定しなくてもいい
一番困っているのはあなたなんだから

あの頃を無理に忘れようとしなくていい

自然に忘れてたり、でも時々出でてきたり

忘れても忘れなくてもどちらでもいい

忘れたふりして、話をしなくていい

あの頃の学校でいつも一人ぼっちで過ごしていた私の時間は
全てが「息苦しかった」訳ではない

ひとりでいる時間も好きだった

だけど、それを人から「可哀そう」と思われることが苦痛だった

だから、必死に平気なふりをした

平気だった時もあるし、そうでない時もあった

だから

懐かしい思い出話の中に私を登場させてもそこに私はいない
いない場所の話はできない

だっていなかったのだから

居たふりをして話すことなどできない

みんなと流行りの漫画の話をしたかった
昨日見たバラエティ番組の事で笑い合いたかった

でも当時の私にはそれができなかった

だから懐かしい思い出の話は出来ない
「なんでいまさら」と言いたい訳じゃなくて
私にはその思い出は無いのだから


学校の自分と家での自分がまるでちぐはぐで
自分でも訳が分からなかった

だけど私は私をやめる事ができなかった

だから違う世界に行きたかった


振り返れば長い人生の中のほんの一時だとしても、その頃は永遠に感じて、いつまでも終わらない気がして生きていた。
大人の時間と子供の時間の流れは違う

だから、その時の私に「ほんの数年間の辛抱だよ」というつもりはない。

ただ

あなたはなにもわるくないよとずっと言い続けるだけだ。


だいぶ大人になった私が今こう言う考えを持っている事を
あの頃の私が、しゃべれなかったあの子はどう思っているだろうか

あの子は確かに今も「ここ」にいて
時々私に話しかけてくる。

不思議だけどあの頃も
未来の私が、しゃべれなかった私に話しかけていた気がする
なんだか一人でいても、一人ではないような気がしていた

今になると、そう思う。

そう思いたいだけなのかもしれないけれど。

私が今こんな風に考えている事を、あの頃の私は・・・

あの子はどう思うだろうか。








さいごまで読んでいただき感謝の気持ちでいっぱいです(o^―^o)!! 貴重なあなたの時間の一部が、よいものとなりますように✨