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後半生は「不可能性の時間」を生きることで輝く


ジャネの法則

「ジャネの法則」とは、19世紀の仏哲学者ポール・ジャネが提唱した法則です。ある年齢における時間の心理的長さ(体感時間)は、年齢に反比例するというものです。
成り立ての1歳児にとっての1年の長さを1とすると、2歳児の1年は生存年数2年間のうちの1年なので1/2になります。同様に10歳は1/10、50歳は1/50となります。

つまり、若者の1日は長く、年寄りの1日は短く感じられているということになります。これを図で表すと、以下の通りです。

備考)各年令における生存年数における1年の割合を体感時間とした。

心理的な時間の長さ

『大人の時間はなぜ短いのか』の心理学者・一川誠さんは、心理的な時間の長さには、複数の要因が影響するといいます。

一つは、「身体的代謝」です。
時間は、脳の複数の場所で計測されているといわれており、代謝が良いと脳の活動も活発になるので、心の時計もよく回ります。
子どもは代謝が良いので、同じ時間内での活動量も多い。活動が多いと感じられる時間も長くなります。

また、「時間経過に対する注意」があげられます。時間の経過に注意が向けられる頻度が高いほど時間が長く感じられます。つならない会議が長く感じられるのはこのためです。

子どもは別の意味で、時間の経過に注意を向けます。大人に比べ子どもは新鮮な体験に溢れており、「まだかな? まだかな?」と "待ち遠しさ" を感じることが多く、そこでは時間の経過に関心を寄せています。

このように、ジャネの法則は、新鮮な体験に出会う度合いを年齢別に数値化したものといえます。

歳をとると時間が短く感じられる理由

これをシニアの立場からみると、若者に比べシニアの心的時計はゆっくり進み、1日が短く感じられます。

超長寿化によって、シニアには時間というギフトが与えられます。
しかし、歳をとると時間が短くなるのであれば、そもそも何のために長生きするのか、わからなくなってきます。

改めて、時間が短く感じられる要因を整理してみます。
下図にあるように、年齢とともに身体的代謝(=脳の働き)が低下することに加え、体験の質と量が落ちることによって時間経過への注意を低下させることが、時間が短く感じられる主な要因です。

確かに、身体的代謝の低下はもちろん、歳をとれば生活がルーティン化して時間あたりの体験数が減り、記憶に残るような新鮮な体験も減ってきます。そこで、ゼンマイが緩んだ時計のように心的時計はゆっくり進み、時間は短く感じられるようになります。

心理的時間に影響を与える要因
『大人の時間はなぜ短いのか』(一川誠)をもとに作成

終末期ガン患者の体験

しかし、歳をとると、本当にすべての体験の質と量が減っていくのでしょうか。この点に注目してみます。

例えば、終末期ガン患者を、取り上げてみます。

終末期ガン患者の多くは、病気と闘うことに疲れ、「自分らしく生きたい」という気持ちに収斂していきます。
その中で、病気に対する不安と周囲への感謝の間で揺れ動く気持ちが安定し、余生の充実感が高まっていくといいます。

『人生は図で考える』平井孝志

終末期ガン患者が90歳だったとすると、1歳児の1/90、10歳児の1/9しか体感時間を感じられていないのでしょうか。

そうではないと思います。むしろ10歳児の未経験体験と同等か、それ以上に貴重な時間を味わい、人生の終末であるにも関わらず瑞々しい新しい体験をしていることは間違いありません。
「時間の質」が高いとすると、感じられる時間が短いとはいえません。

可能性と不可能性

これを、別の角度から考えてみます。
新生児には「可能性」しかありません。年齢が上がるに従い、経験と実績を積み増していき、一人前の人間になっていきますが、自分の「可能性」はその分だけ減っていきます。

ここでの「可能性」とは新たな体験の原資であり、時間といいかえてよいでしょう。10歳児が持つ時間総量と、90歳に残された時間総量は明らかに違います。ここに注目したのがジャネーの法則です。
悪いことに、心理的な時間は歳をとると短くなるので「可能性」はさらに減っていきます。

しかし、年令を重ねるに従い増えていくものがあります。
それが「不可能性」です。

ここでいう「不可能性」とは「死」や「生」に対する理解といったものです。生きているのは「死」が訪れるから。しかし、生きているうちに自分の「死」は体験できない、それゆえに経験的に語ることできない「死」。それをここでは「不可能性」と呼んでいます。

人生は一度しか体験できず、そして「死」は免れないという宿命を背負って我々は生きています。
しかし、1歳児には、そのような理解はありません。その後、成長するに従い、自我が生まれ、親の死を乗り越え、実存に対する不安を感じて生きていきします。こうして歳を重ね、終末になるにしたがい、「生」や「死」に対する理解を深めていきます。

このように、「不可能性」は年齢とともに高まっていきます。これを図で表すと以下のようになります。

備考)「不可能性の時間」(体感時間)は、「死」を迎える時期(100歳と仮定)の体感時間を1として、各年令における余命に占める1年の割合とした。

不可能性で輝く後半生

つまり、我々には、可能性を体感する時間と、不可能性を体感する時間の二つか備わっているということです。

人生100年時代といわれるようになってから、人生は2度あるという人生モデルが影響力を持ってきています。
2度ある人生は、それぞれ以下のような説明ができます。

  • 第1の人生(前半生) 時間割(社会の時計)に従い、将来の目標に向かって「やるべき亊」を進める時間。

  • 第2の人生(後半生) 自分の時計に従い、自分らしさを探して能動的に「やりたい亊」を進める時間。

しかし、これでは物足りないですね。特に後半生。
後半生は、組織や「やるべき亊」から自由になって、自分と向き合う時間が増えていきます。
その時間を使って、自分らしさを探したり、自己実現を目指すとは大いに賛成しますが、そこにはもう一つ「不可能性」という別の狙いがあるとすると、後半生が輝きを増すことになります。

「可能性の時間」が少なくなる後半生だからこそ「不可能性の時間」を原資にした体験は深められます。

こう考えると、超長寿化で我々が「時間のギフト」を手にした意味もわかるような気がします。

(丸田一葉)

『大人の時間はなぜ短いのか』一川誠、集英社文庫
『AERA WITH KIDS』2023年秋号

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