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自分にあった人生モデルを選ぶべし5(人生モデルの源流・日野原重明)

自分に与えられた時間が増える! この長寿化の恩恵を受けるため、人生100年のロードマップとなる「人生モデル」を紹介しています。

今回紹介するのは、医師の日野原重明さんの人生論です。初めて人生100年時代への備えを説き、105歳で亡くなるまで自ら提唱する人生モデルを実践されていました。


よど号ハイジャック事件

日野原重明は58歳の時、「よど号ハイジャック事件」に遭遇し、人質の一人となりました。

北朝鮮に向かう途中、ハイジャック犯は機内で人質に持参していた本を貸し出します。
そこで、日野原さんはドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を借り受けるのですが、ページをめくった途端、そこにあった冒頭の言葉が「一粒の麦地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、もし死なば多くの実を結ぶべし」(ヨハネ福音書第12章24節)だったといいます。
人質という極限状態のなかで、深く、いのちとは何か、死とは何かを考えたと言います。
4日後、金浦空港で、山村運輸政務次官が身代わりになることで、人質は無事、解放されました。帰宅すると全国から送られた花で自宅は埋め尽くされ、自分が多くの人々に支えられてきたことを実感したといいます。そして、与えられた生命を、これからは誰かのために捧げようと決心します。

この経験をきっかけに、日野原さんは内科医や研究者として名声を求める生き方をきっぱりと止めました。こうして「第2の人生」がスタートします。
そこでは、予防やターミナルケア(終末医療)に無関心だった日本医療の変革に乗り出しました。患者の人生最後の質を高めるターミナルケアは、今では普及していますが、当時の医療制度はまだ「治療」に重きが置かれました。

新老人

そして日野原さんは、「第2の人生」を始めて30年間後の90歳の頃(2002年)、「新老人」という言葉を提唱します。
当時は65歳以上を老人としていましたが、半世紀で寿命が30年伸びるなど長寿化が進んでいることから、75歳以上を「新老人」と定義したのです。

そして、60歳から新老人にいたる75歳までを「中年」と定義しました。壮年と老年の中間で、後半生の入口に当たる時期です。

また同じ頃、日野原さんは新しいことを創(はじ)めたいということで、「新老人の会」を発足させます。シニア会員は75歳以上。60~74歳がジュニア会員、シニア達が自分たちの社会に対するミッションを見つけ、それを実践する集まりです。会員数は1万人を超えて、全国に支部を持つ大きな団体に育っています。

自分を自由にデザインする第2の人生

60歳で定年を迎えて、現役の人生を終えるのではなく、その50歳代で人生を折り返し、60歳では2回目の成人式を迎え、「第2の人生」の新人として、後半生をスタートさせるのだといいます。

第2の人生のスタートとは、、
「それまでの活動的な生活に伴う苦労や、世俗的な野心や、物質上の邪魔の多くから解放されて、自分の今まで無視し続けた面を充実させる時」
「それは自分の精神の、そしてまた心の、それからまた才能の成長ということにもなって、こうして我々は日の出貝の狭い世界から抜け出す」
とリンドバーグ夫人(大西洋無着陸横断のチャールズ・リンドバーグの夫人)の言葉を引いて説明します。
「日の出貝の狭い世界」とは「第1の人生」のことです。

幼年期は親に育てられ、青少年期は学校で教えてられ、社会人になると会社が指導してくれましたが、「第2の人生」では誰も教えてくれる人はいません。
反面、そうした制約から解き放たれ、自由に自分自身をデザインすることができる初めての機会だといえます。

このように考えることができれば、60歳から始まる後半生こそが、自分にとって希望に溢れる時期になります。

武田邦彦モデルと類似

前回紹介した武田邦彦さんの人生モデルと比較すると、大変似通っていることがわかります。
武田さんは、専ら生物学的な視点から50歳を折り返しとして、「生物としての人生」から「人間としての人生」のモデルチェンジがあるといいます。
日野原さんは、多くの患者を看取る医師として、競争や世俗的野心に溢れる「仕事本位の人生」から「自分本位の人生」へモデルチェンジするとして、50歳が人生の折り返し、60歳を「第2の人生」のスタートといいます。

この二つの人生モデルは、節目の年令に若干の誤差がありますが、ほとんど一致しています。
自分という乗り物は変わらない、しかし生きる意義や目的、価値観が全く違う旅にでるようなもので、実は自分自身に一種の革命を起こすことを示唆していることがわかります。私自身も、頭で理解しただけではダメだということを痛感します。

日野原さんが90歳で出版された『人生100年 私の工夫』では、60歳で「第2の人生」を迎えるとは、「戦艦の乗組員」から「ボードの船長」になるようなものであると説いています。
心持ちと時間の使い方を変えるとともに、まったく新しい羅針盤を持つ必要があるといいます。
肩書きから自由になり、子離れすること、ロールモデルを持ち、ライフワークを磨くことなど、日野原さんの30年間にわたる「第2の人生」経験をもとに、さまざまな生き方の工夫が分厚く語られます。

備考)日野原さんの人生モデルは『人生100年 私の工夫』の記載による。折り返し年令は50歳と60歳の二つの記載がある。また、幼年・少年・青年・壮年の節目年令の記載がなく想定した。


「人生100年時代」の提唱者

日野原さんが「第2の人生」をスタートさせたのは60歳の少し手前ですが、「新老人」を提唱し、講演や書籍などで「第2の人生」の人生モデルを幅広く広めていかれたのは90歳になってからです。
この人生モデルの有用性は、日野原さんの30年間の実践で証明されたようなものです。

なお、日野原さんは「人生100年時代」という概念を最初に唱えた人です。この後にここでも紹介させてもらう2016年刊行の『LIFE SHIFT(The 100-Year Life)』が「人生100年時代」という概念を最初に作ったといわれていますが、それは間違いです。

(丸田一葉)

参考)
『人生100年 私の工夫』日野原重明、幻冬舎、2002年

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