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後戻りできない時間の流れが交錯するー映画『アリスとテレスのまぼろし工場』

(ネタバレあり)


死に行く世界という設定

「死の世界」は古今東西、さまざまに描かれてきました。しかし、生と死の中間にある世界が、リアルに描かれることは稀です。
この作品は「死に行く世界」を描き、それに成功しています。

それは、生と死の緩衝地帯といった曖昧なものでなく、死への不可逆なベクトルが支配する世界。それは、一時停止(ポーズ)した死の淵であり、少し早回しになった「生きる世界」ともいえます。
「死に行く世界」と「生きる世界」という二重の世界で、後戻りできない時間の流れが交錯し、生きる儚さを増幅させます。

作品では冒頭に製鉄所が大爆発し、それを境に時間の流れが止まります。
身体は成長せず、町では変化することが禁じられました。
その中で、恋をして心を動かす女の子が出てきます。禁じられているからこそ心の動きが浮き立つ。しかしその子は、神機狼に消されてしまいます。

そして我々が、二重の設定をはっきり理解するのは、五実の放つ匂いです。
「生きる世界」から迷い込んだ五実の登場が、変化が禁止されている「死に行く世界」とのコントラストを際立たせます。

希望を託すということ

変化の禁止は、いつか正常に帰った時にスムーズに元に戻れるための決め事で、町の「希望」の表れです。しかし、いっこうに正常に戻る気配はありません。

一方、正宗と睦美は、五実を「生きる世界」に戻そうと考え、仲間と動き始めます。
そのなかで正宗と睦美は、「生きる世界」で未来の自分たちを垣間見ることになります。そこで、自分たちの子どもとして五実が育ってきたこと、そして五実は神隠しにあって「死に行く世界」に舞い込んだことを知ります。

五実は、正宗と睦美にとって唯一の「希望」です。五実を帰すことは、目の前にある生命を救うだけでなく、自分たちの可能性を未来に託すことにも繋がっています。

アリスとテレス

作品名になっているアリストテレス。
作中に登場するアリストテレスの「希望とは目覚めている者が見る夢だ」という言葉は、生きる可能性としての希望のことを言っています。
死に行く世界のなかにも希望がある、いわんや生きる世界でも、という作品として素直に受け取ってみました。

蛇足ですが

このように、この作品は設定の面白さが、独特の儚さを生みだしています。
しかし、その設定は複雑で、少し無理があるようにも思えます。特に、変化の禁止という設定には、説明を重ねないと破綻する危うさがあります。

岡田監督をはじめこの制作スタッフであれば、もっと簡素な設定の下でも十分勝負できるのではないかと感じます。

(丸田一葉)

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