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amazarashi【遺書】について、【ワードプロセッサー】との関連から考える


まえがき

amazarashiのポエトリーリーディング曲はかなり比喩的な表現が多く、その曲が言わんとしていることを掴めず歯がゆい思いをすることがよくある。

先程、そんな、何を言わんとしているのかよくわからないなと思っていた【遺書】を聴いていた。
「そこを私の墓標にしてください」
という歌詞が流れた時、頭の中にふと、また別の楽曲の歌詞が浮かんだ。
「骨を埋めるなら故郷に、でも僕の言葉の死に場所ならここだ」
【ワードプロセッサー】の一節だ。

【ワードプロセッサー】に関しては、ポエトリーリーディングの中では、ある程度の個人的な解釈は生まれるほどに聞いてきた。少なくとも、【遺書】よりは、秋田さんの意図するものを汲み取れている、と自負している。
そして、再度両方の歌詞を読んでいく中で、両楽曲は根底にあるテーマが似通っていると感じた。それについて記しておく。

amazarashi【遺書】について、【ワードプロセッサー】との関連から考える

amazarashiは基本的に、生きる理由を探している。その点当楽曲は、【遺書】と題され、(言葉通りに読めば)死んで骨になって埋められた歌詞になっている。生きるか死ぬか、と言うよりは、既に死んでいる。その違和感があり、それが、私が当楽曲を読み解く上での難しさの要因になっていたように感じる。
(そもそも、【遺書】という楽曲に思いを馳せたことがあんまりなかったので、そこまで考えていたかというとそうでもないのだが…)

その悩みは、「そこを私の墓標にしてください」と「僕の言葉の死に場所ならここだ」という二つの歌詞が私の中でリンクしたことで解決された。
【遺書】で死んでいたのも「言葉」であった。
ここの前の歌詞を読んでも、それは不自然でないように感じる。

理想も夢想も綯い交ぜの独りよがりの詩歌には
拍手や涙は似合わない
吹き曝し位が丁度いい

「理想も夢想も綯い交ぜの独りよがりの詩歌」が、ここに死に、吹き曝しになる。私はそんなイメージを抱いた。

その後のサビとなる歌詞(手向ける花は~虫の死骸の眠ります)は、これは曝葬や風葬の情景描写だと捉えている。いや、手向ける花ってのがファンからの手紙でーみたいな話はできるかもしれないが、細かい考察に関しては今回は割愛させていただく。

そして、私が今回、【遺書】と【ワードプロセッサー】の比較をするにあたりキーワードであると感じているのは、その後の「誰かに踏まれる土になる」というフレーズだ。

あえて「誰かに踏まれる」という言葉に意味を感じた。今までは曝葬のイメージのひとつとしか捉えていなかったが、これは【ワードプロセッサー】の「なにかしら芽吹く種子だと確信している」と関連があるように感じた。

【ワードプロセッサー】のその箇所(骨を埋めるなら故郷に~確信している、のところ)は、噛み砕けば「自分が歌として世に出した言葉たちは、今すぐでなくても、確実にその人の心になにか爪痕を残すものだ」という意味だと解釈している。僕の死に場所ならここだ、の、"ここ"を、今楽曲を聴いている人やその心だと捉えている。

【遺書】のこの場面も、それと同じであると考えた。自分の言葉──理想も夢想も綯い交ぜの独りよがりの詩歌──が、誰かの心に堆積する、つまり言い換えれば、心に爪痕を残す。

このように、【遺書】と【ワードプロセッサー】には類似した表現がある。私は特に【ワードプロセッサー】の方を好んで聴いていたため、もう片方の【遺書】を読み解く上で、非常にこの類似が役に立った。
ただ、当然ふたつの楽曲は異なる。【遺書】は千年幸福論のテーマでもある感傷とか過去とかそういう諸々を背負って歌にするのだという側面が強いだろう(実際、広大無辺~くれてやれ、はそういう話であると考えている)。【ワードプロセッサー】では、メメント・モリよろしく、自分が生きている間に一体どれだけのことができるのだ、終わりを見据えていきなければいけない、という決意の側面が強いように見える。
が、「自分の言葉は、誰かの心に残るものになるはずだ」という点においては、ふたつの楽曲は繋がっていた。

あとがき

秋田ひろむは、常に自分について歌っているアーティストだ。我々リスナーは彼の音楽を通して、彼の人生を覗き込んでいると言っても過言ではない。

であれば、彼の音楽は「秋田ひろむの人生から生まれた」という根で全て繋がっている。
今回のように、テーマが同じような楽曲同士を比較して読み解いていくのも面白い。【遺書】【ワードプロセッサー】のように変わらないものもあるが、最新アルバムの【永遠市】の公式ホームページの文言を読む限りでは当然変わったところもあるようだ。

僕の世間外れで独りよがりな音楽は不思議と社会性を帯びてきた。以前は居場所がなく疎外感を感じていたこにの地球に「居場所がないと歌う」という居場所が与えられた。
(中略)
新しく出会うこの世界の住人と、相容れない思考と言葉をなんとか駆使し、この社会とコミュニケーションを図った。その過程が このアルバムだ。

「理想も夢想も綯い交ぜの独りよがりの詩歌」は、いつしか独りよがりでなくなっている。

秋田ひろむの中で、変わらないものはなんだろうか。逆に、何が変わっていっているのだろうか。
いちファンとして、今後の歌詞からも目が離せない。

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