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クワガタムシ


インドシナ初記録となったサトウマダラクワガタ
2002年5月、大林先生や佐藤先生らと共にラオスへ調査に行った。調査地はPh.Panという山だ。前年冬に大林先生がこの山を訪れ、樹林の状態からここは素晴らしいに違いない、という何とも不確かな情報だけで我々は喜び勇んで訪れたのだ。はたして大林先生の目の付け所は素晴らしく、この海外調査で我々は大成果を挙げたのだった。
調査も終盤に差し掛かったある日、私はカッコいいホソコバネカミキリ(ネキダリスと呼ばれる) を採ろうと林道を歩き回っていた。大林先生はすでに何頭も採集していたが、私には全く採れていなかった。採れないと悔しいもので、そんなに興味はないものの(強がり)、ネットを持って林道をただひたすら歩き回っていた。ネキダリスは林道をふわふわ飛んでいることが多いのだ。ふと、林道のわき道に気付き入ってみると、そこは林の中のぽっかり開いた空間で、真ん中に人間の背丈ほどの長さの古い倒木が落ちていた。その表面は少しナタで削られていたのだが、その削り跡を見て、あっ、と声を上げた。クワガタの食跡と思われるうねうねとした細かい木屑の詰まった坑道があった。これはあいつに違いない、たぶんそうだ、そう思いつつザックからナタを取り出しそっと割ってみると、竹から生まれたかぐや姫のごとく、かわいらしいクワガタが鎮座していたのだった(下写真)。1センチにも満たない小さくて丸っこい姿。マダラクワガタの仲間であることは間違いない。そっと手のひらにのせて見てみると、細長い形や体表面の形状から、まず間違いなく新種であることがその場で判った。「やったー!」と1人大声をあげた。その倒木からは幼虫も含め多数のマダラクワガタを採集することができた。後で判ったことだが最初にその倒木に鉈を入れていたのは大林先生だった。少し削って何も出てこないからとそのまま放置したとのこと。何となく一矢報いた気がした。
マダラクワガタは、クワガタムシ科の中でも原始的なグループだと言われており、一見するとクワガタには思えない容姿をしている。しかし私はそこが好きで、以前からマダラクワガタに関係する論文を一通り集めていたのだった。だからこそ、ラオスの山の中でもそれが新種だと判ったのだ。インドシナ半島では初記録となる発見。ラオスから帰国するとすぐに喜び勇んで論文を書き始めたのだが、クワガタの論文はこれまで書いたことがなく遅々として進まなかった。悩みに悩んだ挙句、クワガタムシの研究者である九州大学の荒谷邦彦さんに連絡を取り、共同研究して頂くことになった。荒谷さんにラオスで採集したそのマダラクワガタの標本をお送りしたところ、すぐさま狂喜乱舞のメールが届いた。やはり驚くべき発見で明らかな新種とのことである。そうだろう。私は自分ひとりで論文を書き上げて、実はこの人をギャフンと言わせてみたかったのだから。荒谷さんはこの発見が相当悔しかったと思えて、翌年にはご自身もPh.Panを訪れ自らこのマダラクワガタを多数採集された。
2006年にAraya & Yoshitomiにより記載されたこのクワガタは、佐藤先生の退官記念ということでサトウマダラクワガタA. satoiという名前をつけた。その後、国立科学博物館の野村周平さんがベトナム北部のSapaで本種を1頭だけだがライトトラップで採集されており、現在ではラオス北部とベトナム北部の高標高地に比較的広く分布することが判っている。また、中国南部からも本種によく似た種が何種も見つかり別種として記載されている。

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インドシナ初記録となったツヤハダクワガタ
サトウマダラクワガタを採集してから10年後の2012年、東京農大の小島弘昭さんらが中心となり北部ベトナムの昆虫相調査が行われ、私も参加させてもらった。調査チームには先ほども登場した荒谷さんも入っていた。荒谷さんの一番の目的はサトウマダラクワガタ。そう、我々がラオスから記載した種であるが、もしかしたらラオスとベトナムの個体群は異なるかも知れないということで狙いを定めていた。
6月末~7月上旬であったが、少しシーズンが遅かったようで、成果はあまりあがらなかった。それでも私はベトナム初体験ということで、いろいろ採集できて楽しんでいた。しかし、荒谷・吉富の最強コンビをもってしてもサトウマダラクワガタは採集できていなかった。山を下りる2日前、私は小島さんと共にPhan-xi-Panに登ることになった。頂上まで登るには1日では厳しいので、登れるところまで登り下りてこようという作戦だ。荒谷さんたち他のメンバーは、上には登らず登山道入り口周辺で調査するとのことであった。実は私も最近重くなった体重のことを考え、登山はしたくなかったのだが、もしかしたら良い環境があるかも知れないとの誘惑に負けて、重い体に鞭打ち登った。しかし登れど登れど採集に適した良い環境は出てこず、上に行けば行くほどにますます樹林は貧弱になってきて、ついにはササ原になってしまった。登って失敗したな、と後悔しながら歩いていると、ササ原の中で大きな倒木を見つけた。表面がいい感じの色になっていてこれは期待できる。慎重にナタを入れると小さなクワガタの幼虫が出てきた。長細い体から原始的なクワガタの幼虫だと一見して解る。
「やったー、サトウマダラクワガタだ!ベトナムでも荒谷さんに一泡吹かせたぞ!」
そう思うと登山の疲れもとんだ。しかし割れども割れども成虫は出てこない。倒木を半分ほど崩し、出てきた幼虫を20頭ほど袋に入れて山を下りた。一緒に登った小島さんもあとで合流したが大した成果が無かったようだ。
荒谷さんは先に宿に帰っていた。採集したサトウマダラクワガタの幼虫を勿体つけて渡そうと荒谷さんの部屋を訪れると、なんと荒谷さんはその日、山麓の方でサトウマダラクワガタの幼虫だけでなく成虫まで採集されたそうだ。ショック!ギャフンと言わせたかったのに今回は逆にギャフンと言わされてしまった。幼虫だけですけど折角なのでどうぞ、と言って採集した幼虫の入った袋を手渡し、一階上の自分の部屋に入りどっと出てきた疲労にベッドにそのまま倒れ込んだ。
10分ほど経った頃であろうか。もの凄い勢いで階段を駆け上がる足音が聞こえた。そしてノックも無しに部屋に荒谷さんが飛び込んできた。そしていきなり私の手を握りながら、大声で連呼した。
「ツヤハダ!ツヤハダ!ツヤハダ!」
私はこんなに興奮して我を忘れている人を見るのは初めてだった。驚きつつもこの言葉を聞いて、実は山の上で幼虫を割り出した時からぼんやり感じていた違和感が何なのかすぐに理解し、そして「やってしまった」、という悔しい気持ちがふつふつと浮き上がってきた。倒木から割り出した幼虫を見て最初、何か違う、大きさも大きい、と思いつつも、原始的な幼虫の形からマダラクワガタだと思い込んでしまったのだ。ツヤハダクワガタの仲間は中国南部が分布の南限で、ベトナムを含めたインドシナ半島にはいないだろうと思い込んでいたし、荒谷さんもそう考えていた。ツヤハダクワガタの幼虫なら日本で多数見ているので間違いようもないのだが、登山の疲れで冷静さを欠いていた。荒谷さんを再びギャフンと言わせられるすごい発見をしたにも関わらずそれに気付かなかったなんて!荒谷さんは私の部屋でひとしきり興奮して騒いだあと、しまった幼虫をそのまま机の上に置いてきた、と言ってバタバタと部屋を出ていった。
その日の夕食は、同じ食卓を囲んでうな垂れる二人の男がいた。1人は先に採集されてしまった、ラッキーすぎる、としきりに悔しがり、もう1人は無口になって大発見を見逃したことを反省していた。
その時採集されたツヤハダクワガタは、やはり新種であったことが後に荒谷さんによって確認された。この新種は、ツヤハダクワガタ属の分布の南限かつインドシナ半島で初記録となる発見であった。

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ソース

サトウマダラクワガタの記載論文。[Araya, K., & H. Yoshitomi, 2003. Discovery of the lucanid genus Aesalus (Coleoptera) in the Indochina Region, with description of a new species. Spec. Bull. Jpn. Soc. Coleopterol., Tokyo, (6): 189-199.]

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