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ニセマルハナノミ

発見

その虫の存在にたぶん日本で初めて気付いたのは私だろう。1994年頃、研究材料の採集と自分に言い訳しながら何度も通った木曾御岳北側斜面(扉写真)でササの葉の上に止まっている個体を数頭採集した。図鑑に掲載されていないことは採集した時から明らかだった。標本にして詳細に調べてみたが、どうしても所属が判らずにまず佐藤先生に見て頂いた。佐藤先生は、最初、「カツオブシムシかシバンムシかその周辺の変わったものであろう」と仰った。私も虫の外見の第一印象だけでは同意見であったが、図鑑の検索表をつかってもどうしてもそれらに落ちず、納得いかなかった。そこで甲虫類の上位分類にお詳しい福井大学の佐々治寛之先生に標本を送り見て頂いた。佐々治先生からは、「マルハナノミ科かその近縁のものだと思うが専門ではないのでそれ以上判らない。君の研究しようとしているグループに近いだろうから君が研究しなさい」、という丁寧なご返答を頂き、標本も返却されてきた。しかし、マルハナノミ科を研究テーマに選んだ私にはどうしてもマルハナノミ科に近いとは思えず、修士論文の取り纏めも忙しかったので、そのまま標本箱の中に入れて仕舞いこんでいた。

正体判明

それから半年くらい経ったある日、佐藤先生から「例の虫の正体が判ったよ」と嬉しそうに電話がかかってきた。標本を持って大学に伺うとNikitsky et al.の原記載を見せられた。驚かされたのが、それが極東ロシアから最近になり記載されたDeclinidaeという日本未記録の科でマルハナノミ上科ではないかという考察がされていたことであった。確かにその論文にある図にそっくりで、この仲間だということは間違いなさそうだが、マルハナノミ科に近縁だということに私は納得がいかず、標本をそのまま佐藤先生に預けてしまった。

新種として記載される

その後、日本産のものはロシア産のものと違う種であることが判り、Sakai & Satô (1996)によりその虫は新種として記載された。私は和名に「マルハナノミ」を使わないで欲しいと言ったが、見事に「ニセマルハナノミ」という名前になってしまった。なお、現在では、ニセマルハナノミ科はマルハナノミ科の姉妹群(一番近い仲間)である可能性が高いことが、外部形態や分子を用いた系統解析により支持されている。そして、20年近くマルハナノミ科を研究してきた今の私から言わせれば、マルハナノミ科に近い仲間であることは間違いないと思う。あの時もっと勉強して自分で調べていれば、自分で論文を書くことができたのに、と後悔も少しある。

この種の発見には、佐々治先生の高次分類への卓越した目と、佐藤先生の記憶力と洞察力が関与していたと思う。この2先生がいらっしゃらなかったらこの虫の発見はもう少し遅れていただろう。お二人とも鬼籍に入られてしまい寂しい。そしてこのニセマルハナノミのような正体不明の標本が得られたときに果たして自分たちで解明することができるのだろうかと、心細くも思う。

今後

ニセマルハナノミ科は、ロシアと日本にそれぞれ1種が知られるのみの、学術的に貴重な、世界でも珍しい存在である。日本の種は北海道、本州、四国から分布が知られているが、幼虫や生態については全く謎である。私が採集した時のように山地の樹林でササの上に止まっている個体が時々採集されるくらいで、まとまって採集されることもない、いまだにたいへん珍しい種である。幼虫の形態や生態を明らかにすればすごい発見で、世界中の研究者を驚かすことができる論文を書くことができるのだが、何度狙っても成虫もたくさんは採れないし、幼虫はどこにいるのかすら見当もつかない。私は、ニセマルハナノミの幼虫は湿った地面や倒木の裏などにいるのではと考えている。どんな形をしているのかも想像もつかない幼虫を探して、山に行くとそんなところばかりチェックしている。

(「吉富博之,2007.佐藤正孝先生を偲んで.月刊むし,(432): 44-45」を一部改変)

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あまり特徴がないのが特徴といえそうな虫


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