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「同じ日本人の目」に苦しめられるのは、もうやめにしませんか?

前回のノートで「発音コンプレックスを手放そう」という件について書いたのですが、
とはいえ、やっぱり「カッコよく発音したいし、カタカナ発音は恥ずかしい」という思いを拭い去るのは、なかなかに難しいと思います。

なぜ「発音コンプレックス」が手放し難いのか。
それは、「同じ日本人の目」ではないかと、私は思っています。

日本人って、他所(よそ)様には寛容なのに、身内にはむちゃくちゃ厳しい。
それが家庭というミニマムな場所から、学校や会社というコミュニティ、はては国単位に至るまで、その目は、向けられていると思う。つまりは内弁慶なんですよね。

その「身内にやたらときびしい」という目が、英語学習にも発揮されていると感じます。

ここでいったん、話題は英語から離れますが、ちょっと聞いてください。

日本の夏のビーチやプールで、女性が水着を着ることについて、ものすごくハードルを感じる件、ありますよね。
年齢や体型によって「私なんかがビキニ着たら犯罪」のような感覚が、普通になっていると思うんです。
去年ブームになったナイトプールなんて、その際たるもの。20代前半で、スタイルも顔面偏差値も抜群で、さらにオシャレなセンスもあって、キラキラしたリア充じゃないと行ってはいけない場所のような空気がありました。(とはいえ私は日本にいないので、ウエブやSNSなどから勝手に感じ取った印象でしかありませんが)。

私はいまハワイのホノルル市に住んでいるのですが、ハワイはポリネシア系の先住民の血を引く人、アメリカ本土やヨーロッパから移住してきた人、アジア系入植者の子孫など、人種のダイバーシティを感じる場所。さらに世界的な観光地でもあるので、それこそ世界各国から多くの人が、入れ替わり立ちかわり、やってきます。

肌の色も体型も常識感もバラバラな人たちが、小さな島の、ちいさなビーチで、想い想いに過ごしている光景は、なかなかに面白いものですよ。
ミシュランみたいな体型の人、ふともも全体にセルライトが出ている人、身体中シミだらけの人、鶏ガラみたいな骨と筋だけの人。

ここでは90歳のおばあちゃんでも、真っ赤なビキニを堂々と着られる。それって、すごく自由で、素晴らしいことだなあと思うんです。


ハワイのビーチでは、私もそんな人たちに混ざって、開放的なビキニで過ごすことができるけれど、これが日本となると、同じようにはできない…そんな自主規制をしてしまう気持ちが、私自身の中にもあります。

同じことが、英語学習にも言えるのではないか、と思っていて。

日本人が誰一人いない異国の地だったら、カタコトの英語でも、つたない文法のカタカナ発音でも、思い切ってドーンとぶつかっていきやすい。
でも、英会話教室やオフィスでのやりとりで、自分以外にも日本人の目があると、とたんにその勢いがしぼんでしまう。「間違えないように、恥ずかしくないように」が最優先になってしまう感じが、あると思うんです。

それは海外に出ても、同じ。
語学学校や大学のキャンパス、日系企業のオフィス。
どうしても現地在住の日本人の目が、気になってしまう。
「あ、いまLとRの発音間違えちゃった。ほかの人に聞こえてないといいけど…」
なんて。

そして、悲しいことに、こういう状況の中でマウントを取りたがる人というのが、ちょこちょこ出てくるんですよね。

「◯◯さんは仕事はできるんだけど、英語の発音がねぇ…」とか。
「あの子の文法、いつも間違ってて、聞いてるこっちが恥ずかしい」とか。

ようは「私は英語、わかってますよマウント」。
不思議なことに、日本人以外のノンネイティブスピーカーには言わないんですよね。
たとえば同じ留学生でもスペイン語なまりの強い英語を話すスペイン人留学生とかには、なにも言わない。英語マウントは日本人同士で密やかに、しかし熾烈に行われているのが常なのです。

日本人から浴びせられる、

「英語圏に住んでるんだから、発音が良くて当然」
「英語勉強して何年なんだから、これぐらいわかって当然」
「それ中学英語で習いましたけど、わからないんですか?」

という、圧力。
でもこれ、全部ただの「マウントの取り合い」なので、完全に無視してOK。
なのですが、日本人は自分自身に厳しい面もあるので「その通りだ、こんなのもできない私は、本当に恥ずかしい」と思ってしまったりします。

謙虚は美徳ですが、自分を卑下しても何も良いことは起こらないのが、英語でのコミュニケーションであり、海外生活。突然落ち込みモードに突入しても、まわりが「大丈夫? どうしたの?」なんて気遣ってくれることはないし、正直いって迷惑なだけ。

だって、「英語がちゃんと話せなくて恥ずかしい」と逡巡している間って、相手の存在が置き去りになっていますよね?

あなたが綺麗な発音でカッコよく話すことより、会話の内容が楽しいことのほうが、よっぽど大事。
文法に気をつけて倍の時間をかけて話すより、単語をつなげるだけでも素早く言われたほうが、聞くほうはストレスが少ない。
英語はただのコミュニケーションのための、いちツールでしかないのに、コミュニケーションの部分が抜け落ちて、「綺麗なこと」のほうが正義だと思ってしまっている人が、とても多いですよね。それは、このnoteで繰り返し言っていることですが、日本の英会話教育の弊害だと私は思っています。コンプレックスから生じる危機感をたくみに突いてくるやり方。

だいたい、日本人が言う「あの人の英語は…」って、どうでもいいことばっかりですよ。本当に。
そう言う人がいたら、「ハイハイ、マウント取りたいんですね」って心の中で思って、受け流せばいいと思います。「あなたのプライドを保てるのは、そこ(英語マウント)しかないんだね」って。

人と比べて、人より優れていることを確認する楽しさも、きっとあるのでしょう。
そういう人は、フォトジェニックなナイトプールで遊べばいいと思う。

でも私は、老いも若きも気兼ねなくリラックスできる南国のビーチのほうに身を置いていたい。他人の目を気にしなくていい、その自由さのほうが、私には心地いいし、ずっと楽しいです。

どちらを選ぶかは、人それぞれ。だけど私は、「こっちにおいでよ、自由で楽しいよ」と言いたくて。この一連の英語noteは、そんな思いで書いています。

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