【緊急帝王切開レポ】②突然の帝王切開編

ひたすらつらい切迫早産入院が続いて20日以上。高位破水して総合病院に転院となってから3日目の昼。朝のNSTでも問題なく、前日までと変わりない1日を過ごしていた。
昼ごはんの後横になっていてふと思った。なんだか胎動を感じない時間が長い気がする。
子はかなり胎動が激しいタイプで、NSTでお腹を出すたびに助産師さんに「すごい!お腹ぼこぼこ激しく動いていますね〜!」とよく言われていた。もちろん私も、朝も夜もなく割と頻回に激しい胎動を感じていた。
しかしその時は最後に胎動を感じたのは何時だったかな…と少し不安になるくらいずっとお腹がしーんと静かだった。
小一時間待ってみたけど、やっぱり動かない。
念の為ナースコールしてみてもらうことにした。
上の子の時もあったのだが、胎動を感じなくて不安になって病院に行くと検査が始まった途端動き始めて肩透かしをくらったりする。今回もそのパターンだとは思うけども、一応みるだけみてもらおうと思った。こういう時、入院していると検査してもらうハードルがかなり低くなるので良かった。
助産師さんが来てNSTが始まる。子の心拍はすぐに拾えたので安心した。
しかしそこから30分ほどつけても胎動はない。延長して小一時間続けたが胎動は確認できなかった。
この時点で17時過ぎ。
最初はにこやかだった助産師さんも少し深刻な表情になって「心拍は通常通りなので問題ありません。ただここまでやって胎動がみられないのは心配なのでドクターにみてもらいましょう」と言った。
心臓が動いているということでかなり気持ち的には楽になったのだが、「ちょっと赤ちゃん眠っていただけでしたね。胎動も戻りましたし問題ないですよ」という流れを想像していたので気持ちが少しピリついた。
そのまますぐ別の部屋に移された。ドクターが来るまでなんだかんだ15分ほどかかった。
そこで自分でも驚いたのだけど、待っている間に涙がはらはらと流れてきた。
既に長期入院で心も体も限界が近かったのに、「もしかしたら、お腹の子と生きて会えない可能性があるのかも?」と思ったせいかもしれない。
心臓が動いているのでその可能性はまだ可能性でしかなくて、現実からは遠いものだけど、遠いものの自分から地続きになってしまった。この地続きになってしまったという感情は本当に恐ろしい。今までニュースや事例のひとつとして見聞きしてきたことが、実際に自分の身に起こる可能性が1mmでも出てきてしまったのだ。この時の血の気が引く感じというか、絶望の射程範囲内に入ってしまった感じというか、とにかく恐ろしかった。
涙が出てくると今まで子を守らなくてはと張り詰めていた緊張の糸がプツっと切れてしまって、止まらなくなって、最終的に嗚咽を漏らして泣いてしまった。

その後部屋に入ってきたドクターに内診、経腹エコーをしてもらった。エコーは数分間ぐりぐりといろんなところをみていたけど、そのうち先生が真剣な顔のまま、手をあまり動かさなくなった。
数分経ち、十数分経ち、そのまま30分ほど経過した。
今まで妊婦健診のエコーではせいぜい5分くらいが相場だったので、こんなに長時間かかったことはない。
しかも先生は何も言わず、じっと画面を見つめるだけ。
エコーの画面をみる限り心臓は動いているようだったが、今何が起こっているのかはわからなかった。
自分の気持ちが限界になってきたので「今はどういう状況でしょうか…?赤ちゃんは大丈夫でしょうか…?」と恐る恐る尋ねた。
先生いわく、内診では子宮口も閉まっており問題なかった。エコーでも心拍や臍の緒の血流が確認できた。ただやはり胎動が確認できないため、動きが確認できるまでエコーを続けていたとのこと。直ちに何かしなければいけない状況ではないが、すでに破水もしているためこのままいくと赤ちゃんの具合が悪くなる可能性があるとのことだった。
そして、このまま胎動が戻らなければ帝王切開になる可能性が高いとも付け加えられた。

部屋に戻され、帝王切開前提で準備が進められた。旦那さんに連絡してくださいと言われたため電話した。その後病室で採血、レントゲン(キャスター付きのでっかい機械を技師さんがゴロゴロと引いて持ってきた)、心電図などいろんな人が入れ替わり立ち替わりやってきて諸々の検査をされた。夫が到着した後は看護師さんがいくつかの書類を見せて手術のリスクを説明し、同意書にサインをしてもらっていた。あれよあれよという間に弾性ストッキング(手術後に血栓が飛ぶのを防止する締め付けの強い靴下みたいなもの)をはかされたりして、周りが慌ただしく動き回る中一人ベッドでなされるがままに横たわる自分はまさにまな板の上の鯉だった。あまりの展開に、正直感情が追いつかずに呆然としていた。

母親は強いというけど、拒否する選択肢がない苦境に立たされることが多いだけだと思う。これからお腹を切りますね、切っている最中は麻酔が効いているから痛くないですよ、麻酔が切れた後はすっごく痛いですけど!一生残る傷になりますけど!たまに命を落としたりしますけど!と言われてそれなら全然OKです〜と言える人がどれくらいいるだろうか。
父親だって自分のお腹を切らないと子が助からないので今から切りますね、拒否権はないですよ、と言われたら腹を括ってそのまま流されるしかないと思う。泣いて縋って痛いのは嫌なので絶対やめてくれとは言えないんじゃないだろうか。

決して誰も悪くないし、なんなら子が危ない状況なのですぐに適切な処置をしてもらえる幸運な環境なのに、急遽決まった人生初めての開腹手術のストレスは尋常じゃなかった。理不尽さすら感じた。怒りが湧いた。それでも手術を拒否する選択肢はないので、何も言わずにただ自分にこれから起こることを受け入れれるしかなかった。

どうか手術開始までに胎動が戻って手術が中止になってほしい!と祈ったものの、残念ながら赤ちゃんは動かないままだった。


病室から手術室に運ばれた。20時半頃、麻酔針を刺すための麻酔を刺される。帝王切開のレポ漫画で見ていたので背中を丸めて刺されるのは知っていた。これかあと思いつつ、痛くはないだろうかとビクビクだった。この入院期間中にそれより痛いことが多すぎたのもあって、思っていたより全然痛くなかった。その後の硬膜外麻酔は当然痛くなく、何かされているという感覚だけがある不思議な状態だった。

数分ののち足元から順にアイスノンをあてられた。ここは冷たい?冷たさを感じない?と麻酔の効きを確認される。痛いのは絶対に嫌だと思ったので、少しでも冷たいと感じたら冷たいと言おう!と思ったけど、しっかり効いているようで冷たいという感覚はなく、ただ何かが押し当てられている感触しかなかった。

麻酔から10分ほど経った後、帝王切開が始まった。ドラマみたいに先生たちが両手をあげて「始めます…!」とか言うのかと思ったけど、気がついたらぬるっと始まっていた。これもう切ってます?と頭の傍に立っていた方に聞いたら、ええ切ってますよと言われる。心の準備とかあるから一声かけて欲しかったなと思いつつ全く痛くなく、何かをされているという感触だけがあって不思議だった。もっと言えば生まれてこの方ずっと体内にあった自分の内臓が外の世界にさらされていることに、とても奇妙な気持ちになった。

5、6分すると突然赤ちゃんが取り上げられた。
34週の早産だったし胎動が少ないという状況だったので、産声は聞けないかもしれないと思ってハラハラしていた。
そんな思いを一瞬で吹っ飛ばしてくれるくらい、響くめちゃくちゃ元気な産声!
子猿のようななんとも言えない獣じみた声で絶え間なくギャアギャア泣いていた。
ああ、産声をあげてくれた…と感極まったが、その後手術室から出される時まで本当にずっと元気に爆音で泣きまくっていたので、なんだか元気すぎることに感心してしまって涙は引っ込んでしまった。
それでも、本当に、本当に無事に生まれてきてくれて良かったと感じた。
本当に、本当によかった。

取り上げられた子は手術室の端で数人に囲まれて何やら処置をされていた。
私はお腹の中をグイグイ押されたり、引っ張られて洗浄されたり、縫合されたりしていた。やっぱり痛みはなく何かをされている感覚だけがあった。それにしてもお腹の中をかなり強く乱暴に押したり引かれたりしていて、みんなこんな扱いなのか…!?とちょっと不安になった。
そして子が取り上げられるまでは頭の傍に立って「痛みはない?」とか「私も帝王切開だったから…怖いよね。でももう終わるからね」等すごく寄り添った対応をしてくれた女性のスタッフさんが、子が取り上げられた途端どこかに行ってしまった。
確かにこの場で一番大切なのは赤ちゃんなのかもしれないけど、私も…一人で手術を受けて心細くなっている私にも寄り添ってくれ…という気持ちになった。
子が生まれた途端わかりやすく優先順位がさがってしまった自分が不憫でウケてしまう。

手術の後半は頭が痛かったり、気持ち悪くなったりしたけど、30分くらいであらかたの処置は終わったようだった。私の体の処置が終わった後、オペ室の後片付けやバイタルチェックと色々して21時半にはオペ室を出ることができた。手術中一言も私に話しかけることのなかった執刀医の男性医師が、手術台から部屋に移動するためのベッドに私を移動させるために他のスタッフさんと一緒にせーのっと私を持って移してくれたのがなんとなく面白かった。


部屋に戻ると22時頃だった。夫もそこで待っていた。しばらくは諸々の後処理をされたり点滴を新しく加えられたりとそこそこ慌しかった。看護師さんに何か問題はないかと聞かれて、一つお願いをした。「産後は胎盤を見てみたくて、もし可能だったらでいいのですが見せてもらえますか…?」と。
自分の中に期間限定の新しい臓器ができて、この妊娠期間中子を生かしてくれて、その臓器を見られるのだったら見たいと思ったのだ。ちなみに自分は内視鏡検査でも画面をガン見するタイプ。
娘の時も見せてもらったが、初産直後の疲弊し切ったタイミングでかつ写真NGだったのでどんな感じだったか覚えていない。
いいですよー!と看護師さんに快諾してもらって、しばらくすると袋に入った胎盤を持ってきてくれた。が、ここで問題が。
袋に入った胎盤は、術直後で完全に寝たきりで動けない私からは見ることができなかった。結構ショックだったが、夫が写真に撮ってくれてそれを見ることができた。夫はグロ耐性なくて立ち会い出産も拒否していた位だったのに、命を張って出産してきてくれた妻の願いを叶えてあげようと写真を撮ってくれたらしい。ありがとう夫!!胎盤は思ったより大きくてなんだかわちゃーっとしていた(語彙力)


この後赤ちゃんの処置が終わったら小児科の先生が来てくれます。ただ術後1〜2時間はかかるかもしれませんと言われ、夫と共に部屋で待っていた。
早産でおそらく体重も軽いだろう我が子が心配ではあったが、元気な産声を聞いたのでなんとなくこの子は大丈夫だろうと思えていた。
23時半頃小児科の先生が来てくれて一通り説明をしてくれた。現在NICUに入っており、呼吸が速くなったり安定しないが(早産の子にはよくあるらしい)、とりあえずは大きな問題はないとのことだった。ほっと安心する。
これから行うであろう処置と現在の状態、今後どういう状態になり得るかといった話をされ、諸々の書類に夫がサインした。
0時を回る頃にそれらが終わり、夫だけNICUに赤ちゃんの顔を見に行く。正直人生トップクラスに辛い思いをしたのに夫の方が先に顔を見に行けるのがちょっと恨めしかった。
夫は実家や義実家にとりあえずの無事を連絡してくれたあと、深夜1時過ぎに40分かけて家に帰って行った。

12時間前にはいつも通りお昼を食べていた自分だったが、まさかここまで怒涛の展開になるとは思ってもいなかった。
子がとりあえずは無事に生きて産まれてきてくれたこと、自分も無事でいられたことに感謝の気持ちはあるものの、いろんなことが一気に起こって感情がちょっと麻痺してしまっている感じがあった。
そしてここからひたすら痛みと戦う産後が始まった。

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