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フェミニズムが苦手だったときの話

「女性役員の割合を〇〇%以上にします!!」
という企業の目標に、私はモヤモヤしていたときがあった。

性別関係なく、デキる人がやればいい、と思って疑わなかった。

「なんで逆差別されなきゃならないわけ?」
「そんな風にしてもらわなくても、ちゃんとやってれば結果出せるし」
そう思っていた。

何なら、
「私はセクシャルマイノリティだし、それでも生きて来れたんだから、自分が甘えたこと言わずに結果出してやるんだ!」
と思っていた。

…元気があって良いなあとも思いつつ、
そうも行かないんだなあコレが、
とも思う。

簡単に言うと、
「文句言わずに結果出せよ」
と思っていたということだ。

(うーん。ちょっと痛い気もする。いや、でも若いって本当に良いことだなと同時に思う。今じゃそんなにツッパレない。人生ファイトが必要なときもあるよね!!)

うまくいかないとき、
原因はその人の能力不足ではなく、
周辺構造が間違っているということが、
往々にしてある。

私はそれをまだ理解していなかった。

自分や他人、とにかく個人のせいにすると、
わかりやすい気がしてそうしてしまいがちだ。
しかし構造的な問題だと考えると、
どうやっても解決できない気持ちになってツライから、個人のせいにしてがむしゃらに頑張ろうとしていたんだと思う。

逆に言えば、頑張れば何とかできると思えていたことはとても幸せでもあった。

妊娠して、走りまわれなくなって初めて、
誰かに頼らないと自分は生きていけないと思い知った(遅すぎ&今まで恵まれすぎ)。

社会人になって、
女性であることがめんどくさいと感じることは、まあ確かに増えた。

それは男性なら楽ということでは全く無くて、
世の中というのは、昔からあるジェンダーに基づいてまわっていたということだ。
つまり男性に男性性を、女性に女性性を暗に要求することで秩序を保っている部分がある、ということだ。
それはとても美しいことだけれど、
とても悲しいことでもあると、私は思う。

秩序の基礎となる決まりを、色んな事情があって守るのが難しい人が、実はたくさんいるし、そこには、まだ表出していない別の美しさのモトがグツグツと湧いているからだ。

その未知の美しさに気がつけていないことについては、
私は悲しい。

もちろん、今勤めている男性の多い職場には、私が不可侵な美しさがある。本当に尊くて、羨ましい。
悔しいけれど、その美しさに私が加わるのは無理なのだ。私が入ってできることは、今までにない新しい美しさを生み出すことだけなのだといつからか諦めた。

職場の既にある美に触れるたび、
人類ってこうやって秩序を作り出して生きてきたのね!!
という感動と、
私自身がなかなか変われないように、
世の中もなかなか変われないのね。。。
というさびしさを覚える。

そして、
思ったとおりではないけれど、
少しずつ変わっていくところが、
社会のいじらしいところなのだ。

男性と女性という二項対立の構図にすると反発しやすくなってしまうので、
ちょっと別の分類を考えてみる。

新入社員には新入社員の辛さ、
ベテラン社員にはベテラン社員の辛さがある。
現場には現場の辛さがあって、
プロジェクト側にはプロジェクト側の辛さがある。

それぞれしんどさがあるけれど、それぞれの辛さを解消するために数千年単位で、少しずつ良くなっていきましょうというのが、人類のコンセプトなのだと思う。

(というか、言い合っているのを見るとすぐ消耗してしまう質なので、コンセプト上避けられないのだと思いこむと、すべての言い合いが微笑ましく見えて、自分が幸せに生きられるので、そう思うことに決めている。)

良くなろうとしてるのかな?ラクをしようとしてるのかな?その辺はなんと言ったらいいかわからない。とにかく生きている。

壮大なコンセプトを持つ人類の一個体として生きている、というだけで自分を肯定したくなる。

何より、自分ができなくても別の個体がやってくれる、と思えて、生きるのが楽になる。

人類から個人のスケールに戻って、
自分が頑張りたいけど頑張れないと思ったときに最初にすることは、
「わたしがしんどいと感じている」
というのを受け入れることだ。

自分の中の第一次感情
「怖いよ!寂しいよ!辛いよ!しんどいよ!」
をそのまま聴く。
自分で、自分の隣に黙って座って、自分だけのために自分の話を聞くのだ。

しんどい理由を聞くのはそれが終わってからだ。
理由が話せるようになったら、具体的な対策やこれからできることの話ができる。

これの繰り返しで生きている。

人類が大きな一つのいきものだとすれば、
それが良くなるためには
「しんどいと感じている人(自分/他人)がいることを受け入れること」
を始めにやらなきゃいけないのかもなと思う。

私は、たぶんこの「受け入れ」がフェミニズムなんだろうと思っている。

フェミ(femi)女性を表す接頭語だけれど、単純に女性運動がトリガーになっただけで、
「生きていてしんどい」と感じているすべての人のためのものなんではなかろうか。

フェミニズムの話を聞いて、
「私もしんどいのに!!自分だけしんどいって主張して!!」
「私はこれでいいと思っているのに!!なんで変わらなきゃいけないの??」
と思う気持ちはすごくわかる。

だから、
「自分がしんどい気持ち、もっと聞こう!!私も隣に座るからさ!」
「あなたはそのままで美しいし、あなたの居場所を奪うつもりはないよ!!」
と全力で伝えたい。

自分で自分のしんどい気持ちを聞けるようになると、すごくラクだし、そうするとしんどい人に安心してもらいたいという気持ちが湧いてくる気がします。

変わりたい人も、
変わりたくない人も、
どっちも美しいと思う。

私は、
既にある美しさも、
まだ表出していない美しさも、
どっちも大好きです。

人類全体が、だんだん、良くなるために、
皆が好きなだけ違う道を選べるように、なったらいいなあ。





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