社会不適合決意表明

2019年7月16日(火) 08:24
私、生きている。
死にたいとおもうことがしばしば、それでも生きている。
いつか、死のうとしたことがある。死ねなかったのは甘さ、弱さ、私が悪い。
あのとき死んでいたら今のこの苦しさは無かったのに。
今苦しいのはどうしてなのか、私にはわからな
い。
実際、きっかけなんてないのかもしれない。周りで私にかまってくれる人がいなくなっただけ?多分そうなんだろう。私がずっとぐずぐすしているから。
いつまでこれは続くのだろうか。このもやもやとした真っ黒い時代。苦しい。苦しいけど愛おしい気もする。嘘。苦しいだけだ、こんなもの。もやもやと死ぬまでついてきそうなほどまとわりつくこの感情。私がいったい何をしたというのだろう。いや、何もしなかったからこうなったのか。
大人は高校生を振り返り羨ましがる。
私の高校時代は将来、立ち止まって振り返ったとき、輝いて見えるようなものだったろうか。そもそも将来があるかわからないのは置いておく。心の支えになるような、そんなしっかりした思い出になるだろうか。
私は、いつかの自分に謝らなければならない。いつかの歳を取れば勝手に成長できて、大人になれて、その過程で普通の高校生、普通の輝く高校時代を送れるものだと思っていたあのころの私に。このするすると流れていく私の感情をつなぎとめていくものが私のこれまで積み上げてきたつたない言葉でしかないことが悔しい。私がいかに無駄に生きてきたか、まざまざと自分の語量力に突きつけられ、絶望させられる。もっとふさわしい言葉があるはずなのに、私はそれを知らない。だから、思い出せなくて同じ過ちを繰り返す。繰り返す。
私はやはり勉強が好きなのだと思う。勉強ができない自分なんていらない、死ねばいいと思う。無知とは最も傷つかなくて済む賢い生き方だが、惨めだ。自分が無知だということも知らず、のうのうと生きていく人生なんて、もうやめだ。知らないことを自覚して賢く生きていこう。私には生きづらすぎるこの社会で。

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