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優しくするという事とは

木曜日の夜から、絶賛夫婦喧嘩中である。
こんなにも長引いているのは初めてではなかろうか。

喧嘩の発端は本当に些細な事であったが、私のホルモンバランスの乱れもあってどうしても気持ちが収まらず、いつまでぷりぷりしてしまい、そこからまた言い争いが起こりあらぬ方向へ事態が向かっていった。

旦那氏いわく、私は優しくないそうだ。
自分は御覧の通り弱いのでもっと優しくしてほしいと。
普段から、例えば仕事の愚痴など話した際、自分はあなたの愚痴は正直聞いていて気持ちのいいものではないものの、以前に指摘されたから今はきちんと聞くようにしている。にも拘わらず、自分が愚痴を言うと、バカにしているような対応をされる。と。

正直寝耳に水だった。
私は、自分が愚痴を言って、というか気持ちを音声や文字で言語化することで思考整理をするタイプなので、同様に他人が愚痴を吐く事に対しても『話してスッキリしちゃいな!』と思って聞いている。
そんなわけで、普段からも私としては聞き役に徹し、答えられるものについてのみ意見を言うことにしている。
それが優しくないというのは本当によく理解ができなかった。
聴く態度が良くないのか、どういう事でそのように感じさせてしまっているのか等問うたところ、特に返答がなく、具体例が出てこない。
とても困った。

そもそも優しい人を求めているのなら、なぜ私を妻に選んだのか、という事になる。
最初から、私はベタベタ甘える事が苦手で、人に対しては割とドライなので、そんなことは織り込み済みだと勝手に思っていた。
優しくする、という事の意味が本当にわからないので、今更変えられない旨を伝えたところ、いつもそうやって努力しようとしない、俺は努力している、とかえってきた。

これには私はさすがに反論した。
私が何も努力していないとでも?
伝わっていないのであれば意味がない事にはなるのであるが、私は私なりに努力はしている。
彼の沸点や嫌がる事が分かってきたので、火がつきそうな事は最初からやらない、言わない。自分でやれば済むこと。いろいろと思う事はそうは言ってもたまにあるけれど、喧嘩になるよりはいいかと思い我慢している。
それなのに・・・という思いで悲しくなってしまった。
悲しくなってしまったので、話を勝手に切り上げて、そこからほぼ口をきいていない。

そもそも優しくできないのは、もう人格だし、努力はできるものの完全に変わるものではない。
そういうものだと思って、ほかの良いところを加点としてみてくれるような事にはならないのか。私はそうしている。
どうして、人格否定につながってしまうのだろうか・・・。

とはいえ、優しくできない理由についても考えてみた。

 私は親に優しく育てられた記憶がない。
育ててくれた事については感謝をしているが、深い愛情をもって接してもらえていたかというと、そうではない。
色々と思い出す。
母には、話しかけても無視をされる事が割とあった。
参観日の時にうまく発表できずに黙ってしまって、母のほうをみるとうんざりしたような、他人のふりをしているような表情をしていた。車で学校から自宅へ一緒に帰るときも、その事については一切ふれられなかった。
初潮やブラジャーの事なども、きちんと向き合ってもらえなかった。
この時の経験が今の自分のとる行動とリンクしている気はする。
旦那氏に対しても、少し不満があれば無視をしてしまうことがある。自分の思い通りにならない行動を目にすると、否定するような気持ちになってしまう。(ここは努力によって口頭で指摘をしないようにしている)
困った事に於いて、自分でどうにかしようとコソコソとしてしまう。
頭ではよくないとわかっていても、避けられない。

要するに、私は母が苦手なのだ。
その証拠に、うまく会話ができない。口どもってしまう事が良くある。
父親と話すほうがよっぽど気楽だし、自分らしく話せる。

嫌いではない。
ただ、苦手。

母のせいにするのは違うのかもしれないけれど、要因の一端ではある事は確信に近い。

この先も、私は人に対して優しくできないのだろうか。
誰か、本当に助けてほしい。




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