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休職日記

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適応障害と診断されて休職中に自分と向き合う文章です。
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#鬱

休職しようか悩んでたけどやっぱり休職しようと思う。

まあ、ずっとなやんでたわけですし、ぎりぎりまで有給と時間休でやってきたわけです。 3月末のとあるきっかけから。 周りの人はそんなことで?とか、弱すぎだろ、とか、人員が少なくなるし迷惑かけすぎだろ、とか、好き勝手言う人もいると思います。 ええ、おっしゃる通りです。あってますし正論です。 でもあなたの人生じゃないんで。 上司に理不尽に怒鳴られて、謝罪したあと近くにきてさらに嫌味をぶっ放され、動けなくなって手の震えと涙がとまらなくなった。 その日は逃げるように早退し、一

自分を自分で承認してあげること

自己受容と承認欲求誰でもある。大事な感情。承認欲求。私はきっと人一倍強い気がする。そして、大人になってからは、一番の自分の課題は自分で自分を認めてあげることだ。 病院のカウンセラーさんに言われた言葉で今でも心に残っている。 「まるさんは自己受容出来るようになるのを目指しましょう」 自己受容・・・ありのままの自分を受け入れること。 ありのままの自分をどこか受け入れられないから、人に対して演じて対応して、勝手に疲れての繰り返し。それは相手が悪いわけじゃない。全部自分が相手

カフェと孤独

休職中ほとんどカフェに住んでると言っても過言ではない、くらいカフェに通っている。カフェとはいってもドトール、タリーズ、コメダ珈琲店、といった身近なチェーン店をぐるぐると。ここはこないだ行ったから、今日はこっちにいこう、とこだわりなく巡回している。カフェは落ち着くし、さみしくない。 休職中、一人が好きだと思っていた私は生粋の寂しがりだということに気づいた。煩わしかったり、気を使って傷つく人間関係だったら不要だけど、やっぱり1日のうちに人が近くにいてほしい人間なんだなぁと。カフ

久しぶりのnoteと私。

noteと久しぶりに向き合っている。 真っ白なページに自由にお書きください、が懐かしい。 以前は毎日noteを書くのが日課で、文章を書きながら頭の中を整理してデトックスして心を落ち着かせていたのに。 一番最後に書いた記事が12月。ずいぶん経った。YouTubeの動画作成も1月くらいから止まっている。文章を書いたり、動画を作ったり、アウトプットすることがピタッとできなくなってしまった。なんだか、そーゆー時ってありますよね。 ずっと休職していて、今も休職中で、病院行って薬

私たちは選択肢が多すぎて迷うから

noteを書こうとする。でも、Twitterに少し文章を吐き出すと、それで満足する自分がいる。note、Twitter、YouTube、、、snsだけでもこうなのに、現実世界では選択肢が多すぎて、迷いすぎてしまう。 会社に復帰する、転職する、正社員はあきらめて、パートする、専業主婦、、いろんな道がありすぎる。 でも、どの選択をしても自分がとった選択は全部正解なんじゃないかな、と思う。 だって自分が決めたことだから。 ♢♢♢ 気づくと、もう12月だ。1年が終わってしま

適応障害の休み方/休職初期のころと現在の自分

最近は本格的に適応障害が小さくなっているまるです。 5月に休職して、約6か月ちょっと。一番は時間が体調の調子を良くしてくれていると思います。あと薬。 そもそも、休職初期ってどんなだったけーとぼんやりと思い出しましたが、今の自分の状態と全然違っていたなぁ、としみじみ。 振り返ってみます。 ♢♢♢ 人が怖い。とにかく人が怖い。目を合わせられない。 目を合わせられず、下を見る日々でした。店員さんでも怖かった。 ずっと寝ている。 薬の症状で眠気が止まらなかったのと、起

こんな日もあるよね。

今日、本当は休職して初の会社に行く日だった。なにやら色々と説明があるらしかった。でも当日に近づくにつれ、不安と恐怖で、頭がぐるぐるし、結局上司にお断りの電話をした。 会社には行けない。 断りの電話をしながら、ふがいない自分に涙がでた。普通の社会人や大人ってやつが出来ないことがみじめでむなしかった。 ~~~~ ぼーっと横断歩道の信号待ちをしている時に、ああ、この車の中に飛び込んだら楽になるのかな、なんて物騒なことを考えてしまう時がある。でもしない。きっと痛いのも嫌だし、

一人として同じ人はいない。だから人は愛おしい。

ホロスコープ占いを習っている先生の言葉。素敵なことを言う方だな、と思う。 ホロスコープ占いは生年月日と出生時間で丸い円の中に天体とそれをつなぐ線で構成されている。私はその天体の位置が偏っていて、線が癖のある線で、非常になんとも生きづらい組み合わせをしているようだった。 私はホロスコープ的にみても非常に繊細で生きづいようだ。 先生はホロスコープで誰一人として同じ人なんていないんだ、って改めて知ることが出来る。だから、人は愛おしいんだ、と思える。と言っていた。人はいびつで、

すれ違ってきたこと。

今日も病院だ。都内に行く。都内は緊急事態宣言中だけど、やっぱり人が多い。 駅ナカで何人の人とすれ違うだろう。なんだか自分の人生みたいだ。最近過去を思い出すことが多々ある。このすれ違う人みたいに私はたくさんの人とすれ違ってはもう二度と会わなかったりする。その時大きな影響を与えられていた人だって、もう過去の産物で、これからなんだかんだ二度と会うことはない。 人は成長する。それに伴って人間関係も変わる。だから同じ人間関係なんてほとんどない。でも1年に何回か過去を熱烈に思い出すと

HSP(繊細さん)あるあると休職中の私がやりたい仕事について

HSPあるある ●ずっと人といると疲れる なんだかんだ気を使ってずっとはごめんなさい。 ●人がたくさんの電車にぐったり 周りに人がたくさんいるだけで、気を貰う。 ●静かなカフェにうるさい人が来たら怒り 心地いいBGMが流れて、ほどよい距離感に人がいる大好きな空間をぶち壊す人がつらい。隣に来た時はわりとすぐ席を立つってカフェを後にする。 ●肩こりやすい 人と話したり、人がいるだけで緊張感で肩が上がりがち。 ●仕事一人でやりたいけど勇気でない ・・・ただの今の

突然の上司の家庭訪問で勢いに任せて退職届を書いた話

その日、私は体調が良かったので、サロンに行っていた。施術中ぐっすりといい気持ちで寝ていて、優しいサロンのお姉さんに見送られて、サロンを背にした。 ここまでは素敵な一日だった。悲劇はここからだった。 携帯をチェックすると、不在着信が2件、ラインが一件。 全部上司からだった。 ラインには ”家に不在だったので、資料をポストに入れておきました”と。 「・・・!?」 なぜ、電話に出ないのに直訪されたのか、そして、なぜ家に来たのかわからず、そして、ラインの時間が見た一分前

お家にずっといたい。

最近ずっと家にいるからこそ、家にいるのが大好きになりました。 家でリラックスできる音楽を流して、温まるお茶を飲み、 気が向いたら、コーヒーを挽く。 そして、創作をし続ける。 そんな心の治療中です。 今日は秋晴れだったので、窓を開けて日光を浴びたり、秋風を感じたり、 気持ちよかったです。 家の窓を開けて流れてくる風が好きなんです。 最近は人間関係から離れられて、心が穏やかでいれます。 悲しいことに、人間は好きですが、人間が嫌いなんです。 相反する難しい気持ち

鬱に贅沢はあるのか?

最近メンタル関連でもやってしたこと2選です。 ~もやもやをあなたに~(いらん) 「贅沢鬱」ツイッターに 「適応障害や鬱の治療中は、好きな人、楽な人としかいないようにしています。今となっては普段からそうしておけばよかったな、って思います」 って投稿したら、 「贅沢鬱」 って引用リプライ(引用されてコメントされた)が来て、 そんなんあるかいっ!て思いました。 鬱は鬱であり、人それぞれ感じる暗闇はあるので、贅沢とか、贅沢じゃないとかはないと思うんです。むむ。 心の

変化した方がいい環境は嫌なことがガンガン起こる

・・・らしい。 今ストレスフルでの適応障害の休職からの親の病気。沢山の嫌なことがガンガン起こっている。 先日いった癒しのアロマサロンの方から、 「その環境をかえろ~ってなってる時は嫌なことがガンガンと起こるよね、って先日ご飯食べながら旦那と話したんです。」 「へえ~」 「だからまるさんも変化の時なんだと思います」 なんとなくしっくりきた。 だってこんなに1年の間にたたみかけるように様々なことが起こることってあまりない。だいたい私の日常は、月~金曜日なんとなくなに