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【音楽連載】台風13号|本日もくらげ日和!vol.5|音楽と文:RaGmy -具志堅舞-@石垣島


ー台風が来るとー

第5回目の記事を書いている今
窓の外の雨がだんだん強くなってきている。
台風11号の影響であろう。
前日までは直撃との予報だったが、
進路が大幅に変わり暴風域に入る可能性は少なくなった。

台風の予報が出ると、
小さい頃から変わらず
大人になった今もワクワクする。
暴風警報発令と共に
臨時休暇というプレゼントがやってくるからだ。
学校や多くの企業が休みとなる。
私が子供の頃は台風が来ると結構な頻度で停電し、
火を灯したロウソクを家族で囲んで
身を寄せ合って過ごす。
そんな時間が大好きだった。

ここ数年は、
台風が来ると臨時休暇ではなく
臨時ステージが入って
ありがたいことに逆に忙しくなる。
普段からリゾートホテルにて
観光客の方向けにライブをさせてもらっているが、
台風が来ると飛行機の欠航で延泊せざるを得なかったり、
悪天候で観光にも行けずと、
観光客の方がホテルから出られない状況となるからである。
台風の中でも
石垣島で少しでも楽しい時間を過ごしてもらえるよう
臨時のステージをさせてもうことが多い。

ーホテルでのライブステージー

初めてホテルでこのようなライブを行ったのは
東京から石垣島に戻ってきた24歳の時である。

東京から石垣へ・・・

私は特に小さい頃から
民謡や沖縄音楽に関わっていたわけでもなく、
三線で弾ける曲といったら
学生時代に授業で習った
「安里屋ユンタ」と
多良間島出身の白保の祖母から習った宮古民謡
「なりやまあやぐ」ぐらいだった。

ホテルライブなのでやはり
自分のオリジナルでのライブとはいかず、
沖縄の曲を歌う必要があり
今だからこそ言えるが
24歳の私はホテル行うライブが好きではなかった。

2013年ホテルライブのチラシ

沖縄音楽独特の歌い方や
三線をバリバリ弾けるわけでもないので
ただ淡々と無難に用意した
沖縄ソングを歌うだけなので
30分というステージがとても長く感じた。

アンコールが沸き起こった時は
それはもうとてつもないプレッシャーだった。

そもそも私が歌手になりたいと思ったのは
ギターを始めた小学校5年生の頃で
そう夢見たと同時に

「25歳までに売れなければ歌手は諦めよう」
とも決めていた。

ホテルライブを行っていた私は
気づけば25歳になり
ギターを友人に譲ったり
事務職に就いたりなどして
音楽から徐々に離れていったのであった。

ーあの時と今、人との出会いー

ひょんなきっかけとご縁と
たくさんの方の支えがあり
今こうしてまた歌うことができ、
ホテルライブもさせていただいているが

10年前は苦手だったホテルのライブが
今は楽しくて楽しくて
30分のステージが一瞬で終わっていく。
アンコールをもらえた時は
胸が熱くなり目が潤むほどである。

東京から戻ってきて10年が経ち、
24歳の私と今の私との明らかな違いは
石垣島への想いだと実感している。

ホテルライブで目の前で聞いてくれている
観光客の方たちは
北から西から東からと
様々な場所からそのホテルに集っている。

さらには
そのライブの30分という決まった時間帯に
決められた場所に集っている。

沖縄本島よりさらに南にある小さな離島
石垣島の一つのホテルの
決まった時間帯
決まった場所
そこで出会える人たち

ライブという音楽の時間で
共に過ごせる人たち

本当に奇跡なのではないかと思える出会いに
いつも感謝しながら
歌わせてもらっている。

「私の大好きな石垣島に来てくれて
 本当にありがとう」
という思いを込めて

”いちゃりばちょーでー”
また石垣島で再会できる日を願って

そしてこれから
もっとたくさんの人と出会えますように

石垣島で待っています。

さぁ外の風がだいぶ強くなってきた。
これから台風はもっと接近してくるので
外に出ることはないだろう。
楽しみにしていた缶ビールを開けるとする。

今回紹介する曲は
兄が東京で一緒に住んでいた時に書いた曲

「台風13号 / ストライクカンパニー」

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この記事を書いた人

Ragmy -具志堅舞-
石垣島出身。くらげを愛する唄うたい。幼少期よりのど自慢大会や芸能スクールオーディションなどに積極的に参加し、歌やダンス、ギター、楽曲制作を始める。高校卒業後、東京にて音楽活動を行い、その後沖縄本島へ。2020年に石垣島へ帰郷。キッズダンススクール「cafumusica entertainment 」インストラクター。
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