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著作権について考えるあれこれ

今までの私のSNS活用方法はまさに受け身
人のものを見たり聞いたり眺めたり。
もちろんそれはそれで楽しい。今もする。

元気になる投稿やその後の決断の勇気になるようなポジティブな投稿や言葉は特に『世の中には素晴らしい発信をする人がいるなぁ』と漠然と感じたりして日々過ごす。

受け身体制だった私のSNSライフは今月の半ばになんとなく知ったnoteにて『書くこと』を始めた。

夏休みの読書感想文も嫌いだったし、極力書く行為自体を避けてきた自分が、だ。そもそも人に向けて何かを意図的に発信しようと思うことは今までになかった。

相手が友人や知っている人に情報や自分の中の何かをシェアするのでなく、全く知らない誰かに向けて、自分の脳内のお喋りを見せる。あまり今までの人生で味わったことのない気分だ。恥ずかしいとかとはまた違うけど、興奮するのとも似てて違うような気持ち。笑。顔も知らない誰かの脳ミソの中を知るってのも面白くて、スキを押すときはいつも『自分と相手の脳ミソの共通点を発見した喜び』って感じで、思わず押してしまう。

そのお喋りは誰のもの?

何かを読んだり聞いたりする。
それをあたかも自分のアイデアのように書いたり伝えたりする。それ自体はダメなことなのだろうか?

どうして急にそんな疑問が湧いたかというと、
この投稿を読んだから。ここだけ見るとダメなことが分かるが、それはアートだから?アーティストが有名だから?もしくは誰かにダメって言われたからダメなの?

詳しいことはよくわからない。『それ、盗用や盗作だよ』って人に言われたら削除すれば良いという問題なのか。すごくマルとバツとの線引きが難しい。

私は英語を教えるとき、必ずテキストや音声を使う。雇われている身での講師の場合、大体はオリジナルテキストなるものが用意されているから、著作権のことなど無意識で教えていた。

ただある時学校でのミーティングで、

『学校指定の教材以外で、コピーした素材をレッスンで使う場合、見せるのは良いけど、生徒さんに配布したりしちゃダメだから気をつけて下さい。

と言われた記憶がある。何年か前の記憶だから今は新しい法律でもあるのかもしれない。自分が分からないならとことん調べるしかないのかもしれないが、私の疑問は頭の中を巡りながら、不思議な不安や怖さを感じる。

きっと他人の土俵で相撲をとってあたかも自分のオリジナルとしてお金を稼ぐ行為がダメなのだろう。今のところ私の結論はそんなところで落ち着いた。誰か簡単に教えてくれる人いたらお願いしたいくらい!笑

人と人は影響し合うモノ!

そもそも人って誰もが誰かと関わって感化されたり嫌だなって思ったり、それ良いじゃん!私もそうしよう!とかって思って生きてないか?

しかも、その影響された自分が蓄積されていくことすら、無意識で気付かないことだって多々ある。前回私の書いた親noteの『親の刷り込み』もそれと同じだ。

誰かの意見やアイデアが良いなとか思うし、それを自分に当てはめて行動したりするからこそ、成長したり変化したり出来るはずなのに。最初っからオリジナルのアイデアで勝負って出来たら誰も苦労しないし、オリジナルのどこまでがオリジナルなのか。ここからはインスパイア受けたとか線なんて引けない。

と、少し気持ちが昂って語気が強くなったけど、
人の気持ちを無作為に傷つけたり、自分がそういう著作権関係でトラブルにならないようにするためにも、この発信は大丈夫かな?見ている誰かや関係している誰かを不快にさせたり嫌な気持ちにさせたりしないか?くらいは意識すべきだと自分に言い聞かせたい。

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