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「映え」を知らなかったわたしたちに教えたい1つのこと -1ヶ月書くチャレンジ Day20-

こんにちは。まるやまです🍡

おやつにいただきものの最中を食べました。外の皮とこし餡が別のパッケージになっていて、自分であんこを詰める形式のものです。

欲張りなわたしはぜんぶの餡をテディベア型の皮に塗りたくり、パンッパンッにはち切れそうな力士熊を作り上げました。公式の写真とちょっと違うんですが、ああいうセルフメイドのお菓子って中身をどれくらい入れるのが適切なんでしょうか?

なにはともあれ、温かいハーブティーと一緒においしくいただきました。ごっつぁんです。

20日目のテーマは「これまでで1番の後悔」です。

ううん、昨日に続いてこれまた難しいテーマです。後悔、後悔……。

あ! ありました、ありました。ときどき思い出しては「過去に戻れたら絶対に自分に教えてやりたい」と後悔していることがひとつだけあります。

「留学中に食べものの写真をもっと撮っておけばよかった」これです!

インスタグラムが無い時代でしたから、映えを気にしてカメラを構えるどころか、食事の前に写真を撮る習慣がなかったんですよね。

わたしはアメリカ南部にある、お隣のメキシコから移民が多い州に滞在していました。メキシコ料理を食べる機会も多かったですし、州ならではのメキシコ風アメリカン料理もありました。

当時は世間も将来もなにも知らぬ16歳でした。カメラを構える対象は初めて見る景色か踊ってる陽気な人か夕焼け。

見た目がだいたい黄と茶と赤の料理を何枚も写真に残しても仕方ないと思っていたんです!

国内ならまだしも、滅多に行かない海外で食べた珍しい食事の数々をなぜもっとたくさん撮っておかなかったのでしょう。

あの地で好物になったブリトーやケサディア、ソパピアスが食べられる飲食店は日本にあまりないらしいと、帰国してから気づきました。

ネットでも情報が得られにくいため、再現が難しい料理でした。ぼんやりした記憶だとなかなか思い描いたように作れません。人に説明するとしても、視覚の情報がないと聞いたこともない料理は想像しづらいですよね。

あれから15年以上も経つのに、いまだ同じものが食べられるお店は少ないように感じます。

タイムマシンに乗ってあの時のわたしに会えたら、首根っこ引っ掴んでガクガク揺らしながら「今すぐ目の前のブリトーを撮りな!!」と耳穴に向かって叫びたい気持ちでいっぱいです。

さて、話が終わってしまって文字数が稼げなくなりました。ちょこっとだけ真面目な話を突っ込んで締めたいと思います。

始めの方で「後悔していることはひとつだけ」と書きました。そうなんです。思いつくのは今のところひとつだけです。

自分の人生のタイムラインがあるとして、ところどころの分岐点で「別の選択肢も取れたな」と感じることはあります。

高校でどの部活に入るかや、受験する大学は国内とアメリカどちらにするかをさんざん迷った覚えがあります。

大学内で行われた就活セミナーを「わたしには無理だ」と感じて途中で退席したときも、良くしていただいたバイト先の社長に「卒業後は正社員で雇いたい」と言われたのをお断りしたときも分岐点です。

就活セミナーを最後まで聞き、社長のオファーを受けて正社員になっていたら、今と何か変わっていたでしょうか?

実はあまりそうは思えないのです。

わたしの人生でいちばん大きなイベント「うつ病になった」を考えてみます。

いくら過去を遡っても「ここを変えたら病気にならなかった!」というポイントが思い当たりません。なにかの出来事を境に、急にぽこんとうつが生まれたわけではないからです。環境や状況など、さまざまな理由が複雑に絡み合った結果だと思っています。

もちろん病気にならないに越したことはないと思います。寛解したいま、無理に「うつになって良かった!」と美化したくもありません。

ただわたしは、ある一点を後悔して変えたとしても「今と180度違うわたしの人生」にはならないように感じています。もしかしたら仕事や環境は微妙に異なるかもしれませんが、自分の価値観や体質はほとんど同じ結果になると思います。

だから「変えてたら得をしていただろうな」と感じる食べものの写真を残すことが、後悔している唯一のことというわけです。


この記事は、いしかわゆきさん著「書く習慣」の巻末で提案されている「1ヶ月書くチャレンジ」を実践しています。
30個のテーマを1日1個ずつ書いていきます。


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