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英語を好きになったきっかけ「缶 蓋 棒」

comfortableコンフォータブルは、アメリカの地を踏んで初めて覚えた英単語だ。

もう15年は前になる。

わたしは高2の夏から一年の留学を経験した。滞在したのはアメリカ南西部で、メキシコからの移民が多い地域だ。

飛行機の乗り継ぎアナウンスも、となりに座った横幅1.7倍のおっちゃんが陽気に話しかけてくる内容も、降りた小さな空港で見た案内マップも、なにひとつ頭で日本語に変換されないまま、ホストファミリーに出迎えられた。

高そうなバンの隅っこに乗り込み、縮こまって揺られることしばらく。

空港からここまで、ハローとウェルカムしか聞き取れなかった。日本にいたとき駅前で留学した時間はなんだったのか。

自分のこの先を考えると、背中からキノコが生えてきそうなじめっとした気持ちになる。

民家ばかりの路地なのにやたら道路が広い。そのうち、鮮やかな青い屋根の一軒家に着いた。

玄関に入るようジェスチャーをするホストママと、赤くてドでかいスーツケースを運んできたホストパパは、そろってわたしに笑顔を向けてきた。

「Make yourself comfortable!」

かろうじてメイクとユアほにゃららは聞き取れたが、意味はわからない。首をかしげ、我が相棒こと電子辞書を開いて最後の単語を打ち込んでもらった。

ちなみに、当時は今ほど性能がよくなくて、文章をまるっと調べることはできなかった。手元にはiPhoneどころか携帯もなかった。

即ググれない時代があったのだ。

辞書によると日本語で「快適な」や「心地よい」や「楽な」という意味らしい。つまり、ざっくり訳すと「あなた自身を快適につくってね」だ。

なんとなくニュアンスを理解したわたしは、一の字に固く結んでいた唇をようやくへらりとほどいた。

先ほどの文章を正しく訳すと「どうぞ楽にしてくつろいでね」になる。

わたしは必死のジェスチャーと拙い英単語を駆使して、なんとか初日にネット環境を手に入れた。

毎日とんでもない量の英文を検索することになりそうだ。正しい訳が表示されるWebページを見つめ、でかいWindowsの前でため息をついた。

慣れない地で過ごすうち、ちょっと面白いことに気づいた。

「comfortable」って、英語だけどちょっと日本語っぽいのだ。

どういうことかというと、アメリカは日本と違って「察する」文化がない。思っていることは言葉で表現しないと伝わらないのだけど、かといってなんでもかんでもストレートに物を言うわけでもない。

初対面の人やビジネス関係の人が相手のときは、端的で直球な言葉でなく、ちょっとオブラートに包んだ表現をすることもある。日本語だと遠回しな言い方みたいなイメージだ。

そしてcomfortableに含まれる意味は、どちらかというとこのオブラート表現に近いと思う。

初めて家に招かれたとき以外にも、ふかふかのソファに腰かけたときや、気心の知れた友だちと話しているときなどにcomfortableを使う。

穏やかで心地いい気持ちや、明確にコレと言えないけどいい感じがするのを表すのにぴったりな言葉だ。

また、ネガティブな気持ちを表現するのに使うこともできる。

初めて会う人ばかりの空間にいてちょっと肩身が狭い気持ちを説明するとき、get nervous緊張するより not feel comfortable居心地が悪いのほうが近くて、やわらかい感じがする。

いまいち納得できない提案を断りたいとき、ビシッとNoが言えないときは「 I’m not comfortable快適ではないんだ」つまり「嫌だと思っているよ」の意味で返すこともできる。

直球な表現だと相手がどう捉えるか気にしてしまう気質のわたしには、大袈裟かもしれないがこの単語に後光がさして見えた。一年でいちばん使い倒した言葉だと思う。

わたしはこの単語をきっかけに英語を好きになれた。

「comfortable」を知ったおかげで、英語には日本語で表現しづらい意味の広がりがあったり、ニュアンスの幅が面白かったりするのに気づけた。

現地の人もびっくりするくらい頻繁にcomfortableを使い始めたわたしだが、夏に留学先の街に着いてから一ヶ月が経つまでは、まったく英語が聞き取れなかったし話せなかった。

とある晩のことだ。

それまでは日本語の夢だけだったのに、自分がホストファミリーとなんの問題もなく英語でペラペラしゃべっている夢をみた。

いつまでも滑らかに口から出ないcomfortableも、たいへん流暢に発音していた。

ほんとうに不思議な経験なのだけど、翌朝にホストパパやママと挨拶を交わした瞬間から、英語が明瞭に聞き取れるようになったのだ。

まるで高くて性能のいいヘッドホンを付けたみたいなあの感覚を、いまでも覚えている。

毎年、秋になるとアメリカのあの地で過ごしている夢を見る。

今はもう当時みたいに滑らかには話せない。でもわたしや夢に出てくる人たちは、現地でお世話になった方でも家族でもみんな英語で話していて、なぜか会話が成り立っている。

この季節がくるとふと思い出す、英語を好きになったきっかけの単語の話だ。

余談だが、ここ最近よく「コンフォータブルな○○」という言い回しを聞くようになった。

サステナブルやコンセンサスみたいに、意味よりも言葉の響きのほうが広まっているような気もする。

○○に当てはまるのは服の素材だったり時間だったりするのだが、それを見かけるたびに、

発音は「カンフタボゥ」じゃ!

……と思ってしまう。

缶 蓋 棒カンフタボゥ」でそれっぽく発音できるので、ぜひ口に出してみてほしい。

何年経っても忘れたくない思い出を秘めている、わたしにとって大切な大切な単語。

それだけに、ちょっとめんどくさいこだわりが生まれてしまったのだった。

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