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#005③ 母子手帳を受け取った翌日に 【高齢出産育児日記】〜流産のおはなし・後編〜

目が覚めると病室にいて
やたらと天井がチカチカまぶしいし
目眩が酷くて目も開けられませんでした

もう妊婦じゃなくなってしまったのに悲しくも辛くもなくただぼーっとしていたのは、きっと麻酔が効きすぎていたせいだと思います。

動くのは辛かったですが、とにかく早く病院から出て行きたくて看護師さんに大丈夫だと嘘をつき、病棟の談話室前で待っていた夫に支えられながらやっと病院から出ると、外はすっかり秋の景色でした。

外出の時は暗くて気付かなかったけれど、駐車場からキレイな銀杏の木が見えました。
外の空気を思い切り味わうように深呼吸してから迎えの車に乗り込み、アパートへ帰り着くまでは何も話さず窓の外を眺めていました。


寝室で服を脱いでいると、青白くガタガタに痩せた自分が鏡に映り、もうこのお腹には誰もいないんだという事を思い出して、帰り道に一瞬でも外の景色を楽しんだりした自分を責めました。

着替えが進まない私に気付いた夫が「横になりな」と言ったとき、最後に見たエコーの映像や、歩いて手術室まで行った事、麻酔で眠らされる直前の気持ちがいっぺんに蘇ってきて、ボロボロと涙が止まらなくなりました。

私は夫に「赤ちゃんいなくなっちゃった、会わせてあげられなかった、ごめんなさい、ごめんなさい」と謝り、夫は夫で「自分のせいかも知れない」と謝り、初めての妊娠はこうして終わりました。

入院中ずっと眠りが浅かったので家に帰ってからも不眠が続いており、夫は心療内科を勧めてきましたが、私は眠れない事が辛いとは思っていませんでした。

むしろ夜中に赤ちゃんを思い出しちゃんと悲しんで涙を流したり、少しでも母親になれた事に感謝したり、頭の中が整理出来てむしろ心地良くさえありました。

今思えばあの時に思い切り悲しいと感情に出して現実と向き合ったから、ちゃんと回復出来たのだと思います。
気持ちを押し込め我慢していたらあのまま睡眠障害で病院に通い、妊娠は望まなかったかも知れません。

今辛い人がいたら、元気になろうなんて無理しないで、その代わりちゃんと泣いたり怒ったりして欲しいです。
今はそれで大丈夫ですから。

私はそれからゆっくりと元の生活に戻り、やっぱり赤ちゃんに会いたいと前を向ける様になり妊活を再開し、化学流産を経て3度目の妊娠が分かってからは仕事も辞め、赤ちゃんを守る事に徹しました。

そんなある日、庭に出て花の世話をしていた時、私の周りを2羽の黄色いちょうちょがフワフワと飛び回りいつまでも離れませんでした。

黄色いちょうちょは幸運の前ぶれだとか亡くなった人が会いに来たとか言われているから、きっと二人の赤ちゃんたちが、お腹にいる弟に会いに来てくれたんだなと思っています。

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