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古文を好きになったきっかけ

 私は国語の勉強が好きで、特に古文が大好きです。「好きこそ物の上手なれ」とはよく言ったもので、テストでも受験でも得点源として大活躍してくれました。
 元々本を読むのが好きで、特に小説などのフィクション作品が好きでよく読んでいました。(詳しくはマガジンにまとめてありますのでよろしければご覧ください。)我が家には、岩波書店の『グリム童話集(完訳)』があり、初めて読んだ時に「外国の昔話は本当はこんなに怖いのか、、」と衝撃を受けました。すると、母から「日本の昔話も同じようなもの」と教えてもらいました。母は、『かぐや姫』の元にある『竹取物語』の話をしてくれました。グリム童話ほど残酷ではないものの、5人の皇子の話はかなり衝撃でした。月のお姫様のお話かと思いきや、一休さんのようなとんち話もあって面白かったです。高校の授業で『竹取物語』に関するレポートを書くほどには興味を持ちました。
 『あさきゆめみし』の影響も大きかったです。『源氏物語』をベースにした漫画で学校の図書館に置いてありました。初見では登場人物たちが全員同じ顔に見えて花散里と末摘花しか見分けられませんでした。しかし、何回か読んでいるとだんだん見分けられるようになってきます。ただ、夕霧と雲居の雁の子供たちのように、子どもはいまだに見分けが難しいので「誰とどんなふうに話しているか」で親子関係を推測して誰かの当たりをつけるというなんとも面倒な読み方をしています。自然と『源氏物語』自体にも興味が湧くようになりました。

 これらの作品をきっかけにさまざまな物語を読むようになりました。『枕草子』を読んで清少納言の目があれば世界がもっと鮮やかに見えるのかもしれないと思ったり、『伊勢物語』を読んでこんなに恋愛をしては落ち込んで疲れないのだろうかと思ったり。古文の文体は現代日本語とは言葉遣いだけでなくリズムが違うので読んでいるだけで音楽を聴いているような気分になることもあります。

 古文の面白さは現代の作品より想像力が求められるところだと思います。現代の作品は書いている人と同じ時代を過ごしているので、なんとなく「共通理解」できる部分があります。しかし、古文は作者との間に時間的な隔たりが大きく、私の「当たり前」が通用しませんし、向こうの「当たり前」を察する力が必要です。
 「過去」を知ることに楽しみを見出す人間なので、古文を読むことはとても楽しいです。衣装や食生活に始まり、男女観や死生観、宗教観など私の中にはないものがたくさん散りばめられています。それらを知るたびに自分のルーツを見つけているようでわくわくします。
 それに付随して「どうしてこのように感じるのだろう?」と疑問を抱いたり、「平均寿命が短いからかな」などと考えたりすることが増えるようになり、疑問を抱いて自分なりに考える習慣のようなものがついたと思います。

 『古典文学全集』などには本文と現代語訳が載っていて、特に苦労することなく古文を読むことができます。分厚いのですが、挿絵があったり当時の風俗について解説があったりと物語以外のことも知ることができてとても面白い読み物です。『竹取物語』を始めさまざまな古典作品を読むようになりました。授業中も教科書に載っている作品を読むことができたので、古文の授業は好きでした。また、歴史的なことについては本に載っていなくてもネット等で調べたら大体わかるので本当にいい時代だと思います。

 大学でも、文学作品や歴史について学んだり、レポートを書く機会がたくさんあり自分の好きなこと、興味のあることを学べることがとても楽しいです。

 最後までご覧いただきありがとうございます。


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