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心を溶かす何か

8時
夫を見送りぽけーっと過ごす。
12時前
うとうとし出す。

今日は17時まで寝ていた。

完全に昼夜逆転。

そろそろ生活リズムを変えていかないと
働き出した頃にしんどくなるのが目に見えてる。
どこかでオールした方がいいか。

まぁ頑張ろう。

私は本当によく寝るらしい。

昼夜逆転してるからとかではなく
ちゃんとした昼夜であっても
長いらしい。

自分で疲れるようなことをしている感覚はない。

けど頭の消費は他人より多いという感覚はある。

私は何かと考えている。

将来どうありたいか、
幸せとは何か、
貯金はどのくらい必要か、
自分の適職は、
夫と週末どこか行こうか、
声をかけようか。

ちっぽけなことから大きなことまで
私の頭は常に何かに追われている。

その時間に楽しさもあるが、
答えや正解のない問いを永遠と繰り返すのも
かなりしんどい。

そんな私を癒す場所が家の中にある。

ベランダの横、ベッドの上、半分の窓に背をもたれ、窓を開ける。

高さのある階数に入ってくる風はどこか心地いい。

気づいたら半日スマホも触らずそこに座っていたこともある。

私は嫌いなものがたくさんある。

大きな音が嫌い。
急にくる虫も嫌い。
匂いにも敏感。

外にも中にも自分の心を破裂させるような何かがたくさんいる。

だけどそんな私をほぐすのも何かだったりする。

風、水、音、光、香り、空気、流れ。

それが映像の中であれ実際に感じたものであれ、
心をほぐすような、
心が洗われるような、
そんな何かに私はかなり救われている。

自分を癒すことにお金をかけるのは悪だと感じていた。

平日必死に働いて、安くても4千円はするマッサージをご褒美にしたり、休みに一日中寝ていたり、旅行先でも癒される宿で過ごすことを目的にするのはどこか罪悪感があった。

まるで休むために頑張ってるような矛盾を感じていたから。

でもなんか急にふっきれた。
開き直ったのかもしれないけど。

頑張る理由なんてどうでもいいじゃんと。

私はこの何かに満たされているし、
エネルギーをもらっている。

人生メリットをつくることが義務であり生き甲斐なのだと思っていた。

どこかプラスになるものが正解なのだと思っていた。

大金持ちになること。
誰かの役に立つこと。
社会を変える人になること。
知識を豊富に増やすこと。

みんなそういうものなのだろうか。

それとも周りの目を気にして生きてきた
私に自然とできた常識だったのだろうか。

そもそもプラスになることって何を基準に決められているのか。

もう全部ぽいっぽいっでいいや。

私は私の心が溶けるものを
あの感覚を求めて
何かを頑張っていいんだ。

いつかその何かを自分で作れる側に回れたらどれだけ楽しいだろう。

案外自分の気持ちを知ることは簡単なのかもしれない。

深く自問自答することがいいのだと思っていた。

けど私はむしろ穴を掘りすぎていたのかもしれない。

自分の気持ちというお宝は地下深くに眠ったものではなく、地上にころんと転がっていたのかもしれない。

頭にかけたメガネを探すうちに
見当違いの場所にいるみたい。

私は案外その辺に転がっていた。

色々手放して、軽くなったところが
1番満たされているところなのかもしれない。

と、ベランダから入る心地よい何かを感じながら思えてきた。

わたしの心をほぐす何かは
やっぱり私にエネルギーをくれる。

夫、早く帰ってこないかな。

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