見出し画像

流星

屋敷の敷地をトロットで一回りしてきた僕は、雑木林を横目に田園地帯を厩舎へ向かった。小一時間で戻り、愛馬を馬丁に渡す。

「旦那様、今日は新しいじゃじゃ馬が納車される日でしたね」

若い馬丁が身をくねらせるようにして聞いてきた。

「中々早耳だね、うふふ」

僕といえども今日という日は特別で、感情を抑えきれないのだ。

午後、ガレージ前の広場に馬鹿でかい木箱がトレーラーに乗せられ到着した。ブガッティ本社から15人のメカニックスタッフが同行し、丁寧にセロンスポーツを取り出す。固定していた治具を外し、ブガッティ用のスペースに専用工具を収めたセットを置き、念入りにセッティングを行う。彼らは10日間滞在しチェックを行うのだ。

「ミスター、2000キロほど慣らしていただきその後エンジンヘッドを開けて最終チェックをします。それまでは6000回転、速度は300キロに抑えていただきたいのですが」

「うむ、それではこれから少し走ってこよう。明日には最初のメンテをしてもらうことになるだろう」

そう告げて、眼を丸くしてる彼らを宿泊用の屋敷に案内させた。

坂崎がガレージの影からこちらの様子を窺っている。彼も国際A級ライセンスを持ち、若かりし日にフェラーリのテストドライバーを勤めていたこともある腕前だ。僕はゆっくりと近づきながら坂崎を呼んだ。

「慣らしは2000キロだそうだ。今夜付き合うかね?」

「旦那様、是非ご一緒させていただきたく思います」身悶えしつつ応える坂崎。

「よろしい。君の相棒を選んでおきたまえ」


2時間後、納車された濃紺のセロンスポーツと深紅のアベンタドールに僕たちは乗り込んだ。敷地内のテストコースで軽く挙動を確認した後、いよいよ出発だ。目指すは九州門司IC。往復でほぼ2000キロになる。途中の各サービスエリアへ燃料補給車も手配済みだ。今回はセーブしながら走るとはいえ名だたるガスガズラー達なのだ。

夕闇が迫る丘から2台は緩いスロープを降り、専用インターチェンジへと走り始めた。例によって車線規制された高速道路に合流後、ペースを上げてゆく。背中から聞こえてくる16気筒のサウンドは独特だ。深く重いビートから徐々にクレッシェンドしてゆく。その後方からは坂崎の聞き慣れた12気筒サウンド。思わずインカムで坂崎に話しかける。

「なんて素晴らしい音楽なんだ。ねぇ?坂崎」

「誠に天上の音楽でございます、旦那様」

夢見心地で瞬く間に200キロを走り抜ける。某サービスエリアで最初の燃料補給後、コーナーの続くルートを選択する。そしてさらにペースを上げてゆく。

「坂崎、少しペースを上げるよ」僕は軽く坂崎を挑発する。

瞬間、後方からパッシング、坂崎は本気だ。僕もアクセルを踏み込む。いきなり背中を蹴飛ばされたような加速Gが僕を襲う。速度はあっという間に250キロを超える。

三車線のトンネルがまるで異次元への入り口のように口を開けている。たまらない快感だ。

突然僕の危険察知センサーが強烈に発動した。出口付近で事故だ!トレーラーが横転し進路を塞いでいる。

渾身のブレーキング。セロンは粘度の高い蜂蜜に突っ込んだように減速しその運動エネルギーを大気中に熱として放出する。だが!

坂崎の赤いテールランプはそのままノーブレーキで僕の横をすり抜けていった。

「サキサカぁああああああ!(動転すると坂崎でも崎坂でもどっちでも良くなる僕である)

坂崎、君は流星になったのだね。

次のICでエスプレッソを飲みながら、坂崎は何事もなかったように僕を迎えた。横転したトレーラーとトンネルの間をギリギリ数センチの差ですり抜け、アベンタドールは無傷でクールダウンしている。

「君には本当に驚かされるよ、坂崎」

藤村俊二に酷似した坂崎を見つめながら僕は底知れぬ彼のドライビングテクニックに驚嘆していた。

「旦那様、ワタクシ坂崎でございます。お間違えなきようお願いいたします」


おわり










新しいことは何も書けません。胸に去来するものを書き留めてみます。