見出し画像

tatoeba

 例えば、僕が君に対して、昔話をしたとしよう。君はつまらない話だと笑うかおしれない。しかし、それでも、君は僕の話をじっと聞いてくれるだろう。
 それがとても大切なことなのだ思う。この時間を、小さな幸せを持つということが。
 君は、銀座の小さなカフェで働いていて、夕方になると店を出る。その後、家に帰ってから、ランニングを射時間ほどして、シャワーを浴びてから僕の家にやってくる。
 世間は僕らをカップルと呼ぶ。あるいは、もっと渋い響きで言えば、恋人という。しかし、本当の僕らは、夫婦なのだ。
 俗に事実婚と呼ばれる。
 僕らは、法律の中に婚姻を結んでいないのだ。僕らを結ぶのは書類ではない。
 僕らを結ぶのは、互いの心なのだ。
「心なんだよ。つまりさ。大切なことは」
「つまらないこと言わないで」
 君は、コーンスープをすする。料理は僕の仕事だ。いつか、家事を覚える。そう言って、もう二年経つ。それでいいと思うのだ。きっと。
 いつか、とは文字通り「いつか」であって、それは永続的な関係の上で成り立つ言葉なのだ。
 僕らは、どこまで行くのか。時間の上をあるき続ける。連綿と続く、時代の流れの上を。
 夕飯後、川辺に散歩に出た。
 夜の下を二人で歩いた。街灯が輝く。この町に完全な夜などないのだ。どこかで人工的な光がちらつく。
 僕らは、無言で歩いた。言葉を造成する必要などなかった。文脈は、僕らの呼吸の上に成り立つ。それで十分だった。
 形にはまり続けることが、正しいことではない。それを教えてくれたのは、意味との関係だったのだ。
 屋形船が川面を過ぎていく。気だるい風が抜けた。
 例えば、僕らが、正式に呼人を結ぶとして、何がかわるだろうか。
 僕は、ふとそんなことを考えた。互いに沈黙をうろつく中で、脳内で言葉だけが徒に踊った。何を目指すべきか、どこに致るべきか。愛とは何か。恋との差異はどれほどか。
 夢が砕けていくようだ。そして、現実が目覚める。
 例えば、僕が。
 例えば、君が。
 例えば、僕らが。
 出会わなかったら。言葉を交わさなかったなら。恋を覚えなかったなら。
 いずれも、分岐の上での人生だ。それは、ありえない事実でもあり、ありえた未来でもある。
「明日は、休みだから、どこか遊びにいきましょう。夜ではなくて、昼間にでも」
 彼女はそう言った。
 ああ、そうしよう。
 僕はそう応えた。
 例え話はこれくらいにしようか。仮定を唱えるのではなく、実態を愛すのだ。
 僕らは明日の予定を語りながら帰路についた。もう屋形船は姿を消していた。川面が静かな夜に包まれていた。水面に小さく光が揺れた。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?