塀の上にリスがいた

 小さい頃、ふと窓の外を見た。庭先の向こうにある塀の上に茶色の毛皮をまとった小動物がチロチロと動いている。なんだろう。そう思って目を凝らす。間違いない。リスだ。小さい頃にリスを判断できた理由はディズニーアニメの「チップとデール」を見ていたからだ。このアニメが好きだった。リスのチップとデールが繰り広げるドタバタ劇。それに振り回されるドナルド。その掛け合いが絶妙に面白くて、毎日のように見ていたように思う(毎日は極端かも?)。それほどに、「リス」という存在がとても身近な存在だった。

 それらのアニメを通して身近な存在でもあったし、図鑑等でもその姿形を確認したりもしたけれども、簡単には会えない動物だという認識はずっと持っていた。

 近くにいる動物といえば、雀や鳩、カラスといったとこだろうか。猫や犬もそれに当てはまるかもしれない。それらの動物はそこら辺を歩いていれば、どこかで見つけることができる(昔は野良猫もたくさんいた)、でも、リスをそこらで見ることができるとはどうにも思えなかった。

 それはアニメの中で作り上げられた「リス」という存在のある種の虚構的な姿が、脳裏にすり込まれてしまったからかもしれない。それはとても特別な存在のようで、とてもコミカルな日常を連れてくるもの。そんな風に思っていたのかもしれない。だから、リスは特別な存在だった。

 もちろん、都内でリスに会うのはそんなに簡単なことではない。それは大人になった今なら容易に判断できることだけれども、子どもの時分にそれを明確に理解したいたという事実はとても面白いように思う。まさか、図鑑に「都会ではあまり見られない」とでも書かれていたのだろうか。そんなことはないだろう。やはり、リスという存在を「虚構的」なものとして考えていたのだろう。その理由はやはり、アニメの存在が大きいように思われる。

 そんなテレビの中で見ていたリスという存在が、不意に目の前に現れた。あの塀の上をひょうひょうと歩いていく様を忘れることができない。ずいぶん尻尾が長いんだなあと思った記憶がある。チップとデールは尻尾がとても短い。リスの種類の違いなのか、それとも作画上の問題なのかはよくわからない。

 リスはそのまま塀をそそくさと渡りきり、塀の下へ飛び降りると二度とその姿を見せなかった。思わず窓に近づき、庭を覗いた。その時に住んでいた家は、父が勤めていた会社の社宅で、1階の寝室の窓を開ければ、そこには小さな庭があり、その庭はそのままマンションの外へと通じていた。小さい頃だったので、その庭は大分大きいようなイメージがあるが、もし今見たら狭くて日当たりも悪い場所だろう。きっと防犯の上でも良くないに違いない。

 そんな場所によくリスがいたものだ。今となってもそう思う。リスが通り過ぎたあの時の驚きを忘れることはできない。窓辺へ駆け寄り、リスを見た。尻尾をゆらし、まるで世界の動静を気にしない様子で歩いていった。

 たぶん、わずか十秒ほどの短い時間だったと思う。しかし、その十秒はとても大きい十秒だったと思う。あの映像を今も鮮明に思い浮かべることができる。それほどに強烈だったのだ。

 その場所から引っ越したのはそれから何年後だったのだろう。幼稚園に上がる頃にはもうその場所には住んでいなかった。今からもう30年近く前の話だ。街中でリスを見た、という話を色々な人にしても誰も信じてはくれなかった。それはそうだろう。本来ならいるはずがないのだから。

 ある時、この話を母にした。当然忘れているのだろうと思った。しかし、母はしっかりとその時の状況を覚えていて、こう言った。

「ああ、それは隣の家で飼っていたリスが逃げ出したのよ」

 それは自分にとって衝撃的な事実だった。その時、すべての謎が溶けた。なるほど、あのリスは、飼い猫ならぬ飼いリスだったのだ。

 飼い主の元から逃げ出し、トコトコと塀の上を抜けていくリス。飼い主の元にきちんと戻ることができたのだろうか。 

 ペットだった動物が逃げだし、そのまま野生化して繁殖してしまった例はたくさんある。しかし、リスがそのまま繁殖して、街の中がリスだらけという話は耳にしたことはない。

 もちろん、そのリスはきっと飼い主の元へと戻ったのだと思う。でも、もしも戻っていなかったら・・・・・・。とそんなことふと考えてしまう。

 アニメの中では、チップとデールはドナルドの家に住みつき、ドナルドのご飯などをつまみ食いしながら生活をする姿が描かれている。そのイタズラによってドナルドとのすったもんだを繰り広げることになるのだが。

 元来彼らには彼らの住むべき場所があり、生活すべき場所がある。それらを無為に飼い主の都合で都会へと連れてくるべきではないのかもしれない。都会で生き抜くコミカルなリス、それはやはり空想なのだろう。とはいえ、空想だからこそあのアニメは面白いのかもしれない。

 たまに小高い塀を見た時に、不意にリスが飛び出してくるような感じがする。もちろん、そんなことは二度とないだろう。幼き日、人生に一度だけ現れた不可思議な僥倖である。 

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