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わたし

 わたしは、夢をよく見る。夜の深い場所で、誰にも知られないようにこっそりと。
 誰も、その夢には入れない。それは、わたしだけの世界。
 なりたい自分になれる。それが夢の世界なの。
 
 そこにあなたが現れた。
 土足で、わたしの心に入ってくる。ひび割れた鏡のように、歪んだ世界を持ち込んで。
 私の夢は輝いていた。
 かつて、そこはわたしの場所だったのだ。それなのに、夜の深みにあなたがいる。ヘビのようにじっとそこに鎮座する。どこにもいかない。あなたがどかない。
 徒に言葉を紡いでは、定まらない思いに翻弄される。 
 波間に揺れる小舟のように、風に翻る旗のように。 
 あなたは、わたしの頬を撫でた。
 わたしの乾いた頬を、力のない手で、そっと撫でた。
 わたしの頬に涙がすうと流れていく。わたしはなぜ泣いたのだろう。わたいは、どうして寂しいのだろう。

 あなたはわたしの夢に入ってきた。堅固なわたしの世界の中で、自由な翼を翻す。 
 わたしの心を乱して、わたしの心をひきつけて。
 
 あなたはわたしの夢になった。
 比翼の一端に、あなたの温もりが残る。
 その白い手の、指先が、わたしを包む。陶器のようなあの指が、わたしを包む。
 あなたが必要なんだ。わたしは、鏡の中の自分に向かってそう伝える。

 
 しかし、あなたは消えた。
 夜の底のさらに底で、微笑みを残して消えた。
 あなたの写真はどこにもない。あなたは記録はどこにもない。
 それなのに、思い出は消えない。むしろ、あなたの影が喪失の内に大きくなる。
 あなたが、夢から消えてしまったから。
 わたしの夢が還ってきた。
 わたしだけの世界が、改めて戻ってきた。わたしは、わたしの世界で自由になる。誰にも邪魔されないわたしになれる。
 
 でも、どうして。
 あなたがいない夢は、ただの抜け殻のよう。
 砂浜に打ち上げられた貝殻。漁師を失った船。
 粉塵に遮られた太陽。
 どんな言葉を探せばいい。どんな言葉をねだればいい。

 どこにもあなたを、見つけられない。

 わたしは、私になる。
 あなたを失って、より堅固なわたしへと。
 わたしは、盾を持つ。だれにもわたしを傷つけられないように。
 
 わたしは、私なんだ。思い出の中で、あなたにまどろむ。
 私は。

 わたしは。
 


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