準必要不可欠
生きるために必要なこと。
衣
食
住
これらが整っていれば生きられる。
災害で被災したりすると、
身の安全を確保することが最も大切であることはもちろんとして、
衣・食・住が整うことで安心するのではないかと思う。
過去に自身の被災は免れたが、
被災地でひと季節過ごしたときも、
安心感があったのは確かだ。
スポーツだったり、
芸能だったり、
生きるために不必要と言われがちで。
でも、
被災地を訪問して歌を歌ったら涙を流して喜ばれる場面が映し出されることも度々見受けられる。
本当はそれだけじゃなくて、
ボランティア活動したりした上での、
諸々ひっくるめての涙なのかもしれない。
温かいコーヒーを飲んだことが嬉しかったとか。
そういった、
一見生活必需品ではない事柄が、
生きるための活力になったりしている。
これは一体なんなんだろう。
何かの動画で見かけたけれど、
ある先生が両手の平いっぱいくらいの大きさのビンを使って生徒たちに問いかけていた。
ビンの中にはゴルフボールがいっぱいに入っていた。
「このビンはいっぱいですか?」
『はい』と生徒たちは答える。
するとその中に小石を入れていく。
ゴルフボールの隙間に埋まっていく小石。
「これでいっぱいですか?」
『はい』と答える。
するとその中に砂を入れていく。
ボールと小石の隙間を埋めていく砂。
「これでいっぱいですか?」
『はい』と答える。
するとそこにビールを注いでいく。
わずかな隙間を染み渡っていく。
これは人生の優先順位を例えたものではある。
ボールが大事なもの。
小石はその次の大事なもの。
砂はどうでもいいもの。
人生という限られた時間を何で埋めるのか。
そういった教えを興味深く表現されていると思った。
ボールだけで埋まったビンは、
確かにボールでいっぱいになっていて、
これ以上ボールが入る余地がない。
だけど隙間だらけなのだ。
そこを埋めていく小石は、
やりがいのある仕事。
やりたい学習。
体をつくる運動。
これでも隙間は埋まらない。
砂の例えは何に当てはまる?
なんとなく見ているSNS。
なんとなく見ているTV。
なんとなく読んでいるマンガ。
なんとなく横になる。
なんとなく食べる。
そういった暇な時間を埋めるもの。
優先してはいけないもの。
こうして満たされたビンの、
わずかな隙間を埋めるもの。
例えではビールではあるが、
液体が表すものとは何なのか。
それは感情なのかなとわたしは思う。
音楽を聞く(鳴らす)。
演劇を観る。
スポーツを観る(する)。
嗜好品を嗜む。
旅行する。
遊ぶ。
絵を観る(描く)。
趣味とも言えるかもしれない。
余力があって楽しめるもの。
それらがもたらす感情が、
わずかな隙間に染み込んで、
人生をというビンを満たしていってくれる。
何が言いたいかって?
絶対的必要性がある訳では無いが、
実は準必要性な位置づけなんじゃないかと思うわけで。
八代亜紀さんが被災地に行って、
歌を歌って、
聞いている人が涙を流していたシーンをみて、
そんな風に思っただけ(笑)
まとまりのない文章ですが、
最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。
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