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ワタシノナマエハ…

わたしがnoteをはじめた理由は、
わたしのことを話す機会が無さすぎて、
自分が自分であれる場所が欲しかったから。

最近よく思うのは、
わたしの下の名前は、
離婚してからは、
病院など本人確認をするときくらいしか出番がないなと。

そして、
このままいけば、
わたしの下の名はお役御免なのかも?


silentで、
想が紬に名前を呼んでもらったり、
湊斗や紬が恥ずかしがりながらも名前を呼んだり、
色んなシーンで「名前を呼ぶ」ということがポイントになっている気がします。
それだけ特別な意味がある。

これはあくまでも想像の話ですが、
ろう者にとって名前を呼ばれる機会はグンと減るのではないかと。
字幕では名前を読んでいるけど、
手話では人差し指で相手を指して表現されているように思ったので、
英語などもそうですが、
対象がハッキリしているなら毎回名前を呼ぶことはないのでしょう。
不思議な話ではありますが、
”You”であれば違和感がないのに、
「あなた」「お前」などなど…
そんな呼ばれ方をしたら悲しくなる場面もあるなって。
それは名字であっても良いんですけどね。

映画「ラーゲリより愛を込めて」の中でも、
名前を呼ぶということは、
人として生きる上でとても重要な意味があることでした。
軍曹から一等兵と一括りに呼ばれ、
自分たちのプライドを保つために、
見下す意味合いも込めてそう呼んでいたのかもしれません。
呼ばれた人たちは、
例え明らかに個人を指して呼ばれていても、
そこに(一等兵の)自分たちも含められているような気持ちになっていたかもしれません。
少なくともいい気はしない。
実際に主人公にあたる山本さんは、
自分には名前があると主張し続けました。
松坂桃李演じる松田さんも、
ただ生きるのではなく、
理不尽なことには抗って生きていくと、
人として生きるために、
自分の名を主張していました。

映画の中では名字ではありますが、
やはり名前が呼ばれることは、
自分が自分であるために不可欠なんだと思いました。


わたしは離婚しましたが、
旧姓には戻さず、
結婚時の姓をそのまま使用しています。
子どももいますし、
名字が変わったことで、
特に近しくもない人に知られることが面倒くさいし、
特に旧姓への執着もありませんでしたので、
問題はありませんでした。
免許証やら銀行やらの手続きもいらないので、
別れた人と同じ名字を名乗ることに抵抗がなければ、
オススメです。
ただ、その後再婚して名字が変わったとき、
旧姓には戻れなくなるらしいのでご注意ください。

話を戻しますが、

みなさんそうでしょうが、
基本名字で呼ばれることが殆どで、
子供からはママと呼ばれ、
バレーボールでは監督と呼ばれる。
下の名で呼んでくれる友もいますが、
学生時代の友人からは、
名字を文字ったあだ名で呼ばれていたので、
例え今友だちと話をしても、
下の名に出番はない。
下の名をよく呼ばれていた人たちとは、
まったくの関係を断っていますので、
やはりこのままいけば出番はなさそうです。

ちょっと寂しい気もしていますが、
逆に、
相手の名前をきちんと覚えて、
名前を呼ぶように意識していきたいなと思っています。
正直いうと、
名前を覚えるのはとても苦手なんですけど、
頑張ります。

最後に余談ですが、
漫画「ミステリと言う勿かれ」9巻で、
親には「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」ではなく、
名前で呼んであげてほしい、
そんな会話のシーンがあります。
実際にお姉ちゃんと呼ばれ続けたある女性は、
結婚後は夫と区別するために下の名前で呼ばれることが日常になった。

だけど、

歳を重ね、
親も兄弟も親戚もいなくなった時、
もう自分を「お姉ちゃん」と呼んでくれる人がいなくなるのかと思った時、
それはそれで宝物なんだと。

名前に拘らず、
自分を呼んでくれる人がいるということは、
幸せなことなのかなと思っています。


最後まで読んでいただき、
ありがとうございます。

以前書いた自己紹介しているnoteです。
良ければ…


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