【読書感想】わが秘密 ペトラルカ

わが秘密を読み始めた。
なぜこの本に興味を持ち、購入に至り、他の積んである本ではなくこの本を選んだか当初の理由は忘れてしまった。
おそらく、自己分析をしたいや過去の哲学者はどんなことで悩んでいたのかそこにどんなアプローチをしたのかが知りたかったのかもしれない。

まあ、それは読み進めていくうちに思い出すかもしれないし、思い出さないかもしれない。ともかく読み進めていく中で感じたこと、読了後の考えを残せる場所が欲しくこの投稿を書いている。


この本はペトラルカという詩人(詩人の他にも歴史探求や聖職者としての顔も持っていた模様。https://www.y-history.net/appendix/wh0902-038.html)の記載した本であり、彼の没後に世に出ることになった作品らしい。

作品の構成としてはこの本を書くきっかけとなった「告白」を出したアウグスティヌスと真理の前で対話形式で話を進めていく流れとなっている。

今読んだ範囲では、幸不幸と意思というセクションがあり、そこに記載のあった内容が興味深かったので記す。
ペトラルカとアウグスティヌスの対話はみじめさとそこからの救いというところから始まる。
生きていく中で当人に降りかかるみじめさ(貧困や、病気、愛する人との死別など)は意思の力で乗り越えられるとするアウグスティヌスとそうしたみじめさは意思の力ではどうすることもできない自分の力でできることの範疇を超えているとするペトラルカという構図から始まる。
みじめさは他にも罪を犯すなどの悪徳も含まれるとするところからアウグスティヌスはみじめさは自由意志で陥るものであると論じる。そして乗り越えるのも自由意志によるものであると。

ペトラルカははじめみじめさが自由意志によっておこるものばかりでないと主張していたが、次第にアウグスティヌスの主張を認める。しかし、自由意志によって乗り越えることができるという点には疑問を残している。

その主張に対し、アウグスティヌスは乗り越えることを表面的には欲しているのかもしれないが意思として本当に欲していないから乗り込められないと主張。

そのうえで、「欲するだけでは足りぬ。切望してこそ目的は達成される」
と主張。ペトラルカもこの点を認める。

ただし、切望と欲することの違いについては触れられておらず、切望についての全容は明かされいない。アウグスティヌスの主張では切望の道は望むものを絞りそこに全力を注ぐ、他のことを選択しないというものである。そうすると目的が達成されるとのことである。


2024/8/22
ここまでを読んで今日はやめにする。私としては最後のアウグスティヌスの主張はかなり危険なのではないかなと感じているし、まだ腑に落ちていない。幸せになるためには一つの目的を決めてそれだけをする。そうした意思の強さが必要。という主張は乱暴な気がしている。30歳を過ぎて例えばプロ野球選手になることを目的として行動する。このことが本当に幸せにつながるのかや疑問が浮かぶ。そもそも目的とはどんなものでよいのか?罪を犯すことを目的にした場合、達成したら悪徳を積むことになりさらにみじめになる。それも幸せということなのか?この辺りも解き明かされることを期待して読み進める。


2024.8.2 読み進めた。1-3. 死の省察
このセクションはあまり内容がないようにまた読んでみる必要があるかもしれない。内容としては人は死を身近なものとして心底理解しているわけではない。表面的には人の死、自分より若く強い人の死などを見ると心がざわつき死を意識するが、自身の死としては遠く先のものとして存在することである。と語っている。

内容としてはここに尽きているように感じる。前の章とのつながりやわが秘密においてこの章が果たす役割、この章自体を正しく租借できているか、その判断を下すにはもう少し時間がかかりそうだ。

p.s. ちなみにこの本自体残り13章であるので2週間もあればこのペースでも読み切れる。2週間後どうなるのか楽しみだ。

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