神学ダイジェスト131号 特集 今日のマリア論 雑感

『特集 今日のマリア論』
バックナンバーで購入しました。
少しずつ読み進めたいと思います。
神学ダイジェスト131号を読みながら迷える子羊なりにふと思いました。聖霊降臨の最も大きな奇蹟は無限罪の御宿りなのではないかということ。神様へのとりなしを聖母マリアに願うのは、聖母マリアが聖霊との繋がりが最も強い方だからなのでしょう。人間の幼児期の記憶にむずがる子をあやす慈母の姿があるから、成人しても持って行き場のない苦しみや悩みを抱えた時、神の母マリアに神様へのとりなしを願いたくなるのだろう。願うことができるだけでテンパっていた心身が落ち着きを感じたりするものですから。
第2バチカン公会議の教会憲章第8章を読む必要かあります。
教会憲章第8章 『キリストと教会の秘義との中における神の母・処女聖マリアについて』(南山大学監修)を読みました。しみもしわもないの形容詞にやや?。神学ダイジェストでも、麗しいとか美しいという言葉に?。
ゲバラ氏、ビンゲメア氏論稿P39下段の『貧しい人々が生活している場と、教義に関する議論および公的な定式化との間にある、大きな隔たりの問題である。』大切な指摘だと思います。
聖母マリアの人間性が教義と神学のフィルターにかかってどんどん格別の聖性に揚げられてしまうのは何か違うような気が致します。
『マリア研究の母体としてのガリラヤ』この論稿は視点が斬新で感動した。状況神学、よくわからないが視点を変えて見るようなことらしい。
『正教会とカトリック教会の神学におけるマリア』(P61〜)でブライアン・E・デイリーは、「悪魔(この世の支配者)」が認識できなかった重要な三つの聖なる現実として、マリアの処女懐胎、マリアによるイエスの出産、イエスの死を挙げ、Antiochiaのイグナチオの言葉として「この三つの神秘は声高に叫ぶが、神の沈黙の中で成し遂げられた」と紹介している。
『ニコラオス•カバシラスの『受胎告知についての説教』を読む』(著者パオロ•プロスペリ)を読了。東方教会系の論文が続いたが、相変わらず、「あらゆる点において全く」とか疲れる形容詞が多い。おじさんたちのマリア論にゲンナリ。
『聖母マリア〈異端〉から〈女王〉へ』(竹下節子著 講談社選書メチエ137)を読んでいる。
全体的に、三位一体のペルソナとジェンダー論をソフトに散りばめていて非常に斬新な考えを披露されていると読みました。
第三章の途中からムスリムの中での聖母マリアの立ち位置が紹介されていて興味深い。
聖母マリアの包容力の大きさ、豊かな多面性を知る助けになるかなぁ。
竹下節子著前掲書第五章ドグマ狂騒曲において、聖母マリアの教義を整理してある。
第一の教義:聖母マリア神の母(テオトコス)。於、431年エフェソス公会議。
第二の教義:聖母マリアの処女受胎
於、649年ラテラノ公会議。
第三の教義:聖母マリアの無原罪受胎
於、1854年ピウス9世が宣言。
第四の教義:聖母マリア被昇天
於、1950年ピウス12世が宣言。
第五の教義『教会の母』はパウロ六世の力で第二バチカン公会議の時に承認された。
また、1996年8月にポーランドのチェンストホーヴァで開かれたマリア学会についてP132で触れている。構成は、カトリック15人、英国国教会1人、ルーテル教会1人、正教会3人。『キリストと共同の贖い主、すべての恩寵の仲介者』の定義はエキュメニズム運動に困難を引き起こすと非カトリック神学者が言っていると確認(テモテ1章2-5節)。と竹下節子氏は紹介している。
131号の掲載論文と竹下節子氏前掲書などを繰り返して読む必要性を感じる。
第二バチカン公会議公文書の典礼憲章103と教会憲章第8章も。
無原罪のマリア祝日(2022/12/08Twitterより)
創世記3章9-15,20節
エフェソ手紙Ⅰ章3-6,11-12節
ルカ伝Ⅰ章26-38節
『聖母マリアへのまことの信心』聖グレニョンド・モンフォール著山下房三郎訳。訳者は厳律シトー・トラピスト会司祭。訳者あとがきによると、トラピスト会は"天の元后、聖母マリアの栄誉のために"建てられた。聖グレニョンドモンフォールのこの本については、『バロックの聖女』で竹下節子氏も触れている(P272)。


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